創作同人サークル『Fal-staff』

『IF』第一節〈オヤジ達の21世紀〉

 高層ビルの立ち並ぶ、これと言って何の変哲も無いオフィス街の一角に、フェンスで囲まれた解体中のビルがあった。
「あっちぃ……畜生、このコンクリめ。幾ら砕いてもキリがねぇ」
 男は削岩機のスイッチを切って、それを杖代わりにして自らの体重を預け、もたれ掛かるような格好になりながら、ブツブツと文句を言い始めた。
 見たところ、40代になったばかりという感じだろうか。若くはないが、それほど歳を取っているという感じでもない。普通の中年オヤジである。が、童顔な所為か、遠目に見ればオッサンなのに、近寄れば見ようによっては30代半ばに見えなくも無い。キチンとしていれば割とモテそうな、幼い顔かたちに無精髭と白髪混じりの頭髪がミスマッチの、色々と『惜しい』オッサンであった。
「あーあ……あの時、あの書類カバンを網棚に忘れさえしなければなぁ。今頃はまだ、涼しいオフィスで仕事してられたのに」
 彼は軍手を外し、ポケットを探って煙草を取り出した。それをライターで点火し、美味そうに最初の一口を胸の奥深くまで吸い込んだ後、紫煙を空中に舞わせた。そして改めて、自分が立っているこの場所と周囲の風景を見て、再び溜息をついた。
「大体何だよ、この古めかしい削岩機はよ。俺の中じゃ、今頃はこんな仕事は全部、作業用ロボットがやってる筈だったのに」
 彼は少年時代に思い描いていた未来像を思い出した。そこは超近代的なビル街で、空中に張り巡らされた透明なパイプの中を、エアカーが走り回る。人は自動で動く道の上に立ち、足を動かす事無く移動できる。無造作にポイと空き缶を捨てれば、即座に掃除ロボットがそれを回収しに来る……そんな清潔で安全な、まさに理想的な街並みが、今頃は広がっているはずだった……いや、そうなっていなければならなかったのだ。少なくとも、彼の頭の中では。
「俺がガキの頃と、何ひとつ変わっちゃいない。おかしいぜ。あと3年で、意志を持った、人間ソックリのロボットが空を飛んで無きゃいけないはずなのに。実際は、まだ二足歩行が出来る、単に歩くだけのロボットが実験されてるだけだ」
 子供の頃に読んだマンガのあらすじを思い出しながら、彼はボンヤリと空を仰いだ。が、その妄想は途中で打ち切られ、彼の意識は無理矢理に現実の世界へと引き戻された。
「塚本くぅん? 休憩時間はとっくに終わってるんだけど……あぁ、トシの所為で耳が遠くなったのかなぁ?」
 その声の主は若い、工事会社の正社員であった。男は塚本より年下だが、立場は上である。塚本は臨時雇いのヒラ工員、男は正社員で主任。悔しいが、彼の言う事には従わなければならない。しかし、その物言いが塚本の癇に障ったらしい。
「スンマセンねぇ。なんせ俺、ペンより重いもの、持った事が無いもんでね。すぐに疲れちまってねぇ」
 腹を立てた塚本が、ささやかな反抗を試みた。が、上司は涼しい顔で『最強の呪文』を唱え、彼を黙らせた。
「仕事が嫌なら、明日から来なくて良いよ?」
「わ、分かりましたってば……」
 煙草を口に咥えたまま、彼は渋々と作業を再開した。
 時刻は午後3時半、あと2時間ほどで今日の労働時間は終わりになる。それまでは我慢しよう……そう自分に言い聞かせ、目の前のコンクリートの塊に怒りをぶつけていた。

**********

「やぁれやれ、今日も一日、よく働きました……っと」
「あー、お疲れっスー!」
「おぅ、お疲れぃ。よぉミヤ、これから一杯付きあわねぇか?」
「へ? あ、まぁ、構わねぇっスけど……俺、あんま金持ってないっスよ?」
 塚本が声を掛けたのは、宮崎というアルバイトの学生であった。一人で飲みに行っても良かったのだが、今日は嫌な事が続いたので、愚痴を言い合える相手が欲しかったのだ。
「奢るよ。そのつもりで声を掛けたんだからな」
「いぃっ? 何か気味が悪いっスね」
「人聞きの悪い事を言うなよ、一人酒じゃつまらねぇから誘っただけだよ。嫌なら別に良いんだぜ?」
「誰が行かないって言いました? ……へへ、お付き合いしますよ。安くて結構良い店知ってるから、案内するっス」
「お? 学生のくせに飲み屋に詳しいなんて、結構な身分だな?」
 ニヤリと笑いながら、塚本が問い質した。その問いに、これまたニヤリと笑いながら、宮崎が返した。
「大学のコンパでね、よく使うんスよ。だから勝手も知ってるし、ホラ、クーポンもこんなに……」
「おー、やるじゃねぇか。よし、店は任せたぞミヤ!」
「お任せぇ。今からだと、歩いていけば丁度、開店時間ぐらいっスね。時間経つと混んじゃうから、サクッと行きましょうか」
 こうして、塚本は宮崎を引き連れて飲み屋街へとなだれ込んだ。と言っても時刻はまだ6時を少し回ったばかりで、まだ呼び込みの声も響いてはいない。あと1時間もすればサラリーマンやコンパの学生でごった返すのであろうが、今はまだ静かなものだった。
「静かな飲み屋街ってのは、結構気味の悪いもんだな?」
「そぉっスか? 俺らなんかは慣れたもんっスけどねぇ」
 塚本は元々、そんなに酒好きという程ではなく、付き合いで宴会に参加するのが精々だったので、こういった場所に来るのはいつも夜が更けてからだった。それに対し、宮崎はコンパの場所探しで早いうちから来る事の方が多かったので、この雰囲気にも慣れていたのだ。
「しかし……」
「は? 何スか?」
「あ、いや。何でもない」
「……?」
 塚本は『こういう歓楽街も、やはり昔と大差ないんだなぁ』と言い掛けて、慌てて口を噤んだ。駅前に広がる大通りから少し外れた場所にある、未成年ご禁制の大人の遊び場。これらも、彼が子供の頃からずっと変わらない風景だった。流行り廃りがあって、少々その装いが変わっても、風潮そのものは変わらない。
(……まぁ、未来人も酒飲んで、嫌な事を忘れたい時だってあらぁな)
 もし、思い描いた未来の世界に、飲み屋街があったとしたら、そこはどんな感じになっていたのだろう……そんな事を考えながら歩いていると、先導していた宮崎が振り向いて、雑居ビルの看板を指差した。
「着きましたよ、ここっス! ここの7階っス」
「OK、7階ね……あ、乗る?」
「すみませぇーん!」
 と、ドヤドヤと数名の若い学生風の女の子たちが、エレベーターになだれ込んできた。
「5階、お願いしますぅー!」
「あいよ、5階ね……っと」
 平静を装って惚けて見せていたが、塚本の顔は明らかに赤くなっていた。そこを、宮崎は見逃してはいなかった。そして5階に着き、女の子たちが降りたあと、ふぅっと息をつく塚本を見て、宮崎がニヤケていた。
「塚本さぁん、最近ご無沙汰っスか? 飲み屋じゃなくて、別の店の方が良いんじゃないっスかぁ?」
「ば、ばーろぉ! ギュウギュウ詰めになったから、息苦しかっただけだぃ!」
「ふぅーん……あ、着いたっスよ」
 更なる追求が来るかと身構えた瞬間、エレベーターは7階に到着した。そこで一旦話題は打ち切られ、レジカウンター近くで待ち構えていた店員の誘導で、二人は少人数用の個室に案内された。
「へぇー……最近の飲み屋ってなぁ、洒落てんだなぁ」
「今時の居酒屋は、大体こんな感じっスよ」
 塚本が想像していたのは、もっと汗臭い感じのする居酒屋であったので、少々面食らった様子であった。店内は暗めの色合いで纏められた壁面と、薄暗い間接照明で演出されており、飲み屋というよりバーのような雰囲気であった。それに、個室が2人掛けから用意されているのも、意外だったようだ。
 二人は飲み屋のお約束とも言える、生ビールからメニューをスタートさせた。続いてつまみの揚げ物や刺身の盛り合わせなどを一通り頼み、注文はこれぐらいにして、とりあえず飲もうという事になった。
「お、来た来た!」
「ほんじゃま、お疲れっス!」
 ジョッキを軽く合わせると、心地良い音が鳴り響く。そして、グイグイと中ジョッキに満たされたビールを一息に飲み干してしまった。二人とも、かなり喉が渇いていたようだ。
「ぷあぁ……うめぇ!」
「っしゃ、お代わりいきましょ、お代わり! このクーポンの裏に書いてあるメニューなら頼み放題っスから、ガンガン行っても安心っスよ!」
「おお、そりゃあ良い。じゃ、生ビールもう一杯!」
 宮崎が持っていたクーポンの効果は大きく、ドリンクであれば特に高価な酒でもない限りは大体飲み放題が可能となっていた。二人ともそれほど高い酒に拘りがある訳ではなかったので、このクーポンで十分楽しめるという訳だ。
「しかしアレだな。最初の一杯がビールってのは、若い連中も変わらないみたいだな?」
「そうっスね、飲めない奴がウーロン茶頼むぐらいで。あとは基本、生ビールから始めますね」
 それを聞いた塚本は、なるほど、こういった趣向には中年も若者も変わりないのかと、少しホッとしたような気分になった。
「それにしても……今日もこっ酷くやられてましたね、塚本さん」
「あぁ、あの若造……社員じゃなきゃ、とっくにぶっ飛ばしてるぜ。言い方はいやらしいわ、矢鱈ねちっこいわでよ!」
 昼間の事と、例の上司の事を思い出しながら、塚本が2杯目のビールを煽った。一杯目で喉は潤っているので、今度は少しペースを落としていたが、それでも良い飲みっぷりである。
「あっちは社員で、こっちは臨時雇い。多少威張られるのは仕方ないっスよ……ま、俺はあんなチンケな会社の社員なんかにゃ、絶対なりませんけどね」
「ほぉ、大きく出たな。じゃあアレか? 何か、目標でもあんのか?」
「目標っつうか……今はフツーにやってたら、サラリーマンになる事すら難しいっしょ? だから俺は、端っから就活なんかしないっスよ」
「はぁ? 就職しないで、どうやって暮らしていくつもりだ? 一生アルバイトすんのか?」
 宮崎の発言に驚いた塚本が、その本心を問い質そうと詰め寄った。
「んー、ホントは教えたくないっスけど……まぁいいや、知られたって簡単には真似できないっスからね。これっスよ、これ!」
 そう言って、彼が鞄から取り出したのは一冊の本。その表紙には、大きく『株』と書いてあった。
「俺、いま密かに勉強中なんスよ。こう見えても経済学部ですからね、金の流れを掴むツボなんかは、分かってるつもりっス」
「へえぇ……そんな稼ぎ方もありなのか。俺にゃあとても真似できそうにねぇわ」
 確かに塚本には思いも付かない発想ではあった。そして、彼は勧められても真似しちゃいけねぇ、自分がやっても自滅するだけだという事を、瞬時に悟っていた。
「もうね、毎朝ラッシュに揉まれながらヒーコラ言って出社して、上司に怒鳴られながら必死に頑張って、それで給料がスズメの涙じゃ、お先真っ暗っスからね。俺は、そんなしょっぱい人生、真っ平ゴメンですから」
 鼻息を荒くしながら熱く語る宮崎を見て塚本は、まぁ、精々頑張れや……としか声を掛けられなかった。それは、外したら奈落の底へまっしぐらの、地獄への片道切符だぞ……と喉元まで出掛かったのだが、敢えてそれを口には出さなかった。夢を見るのは本人の自由、いずれ彼も人生がそう甘く無いという現実を学ぶだろうと思ったからであった。
「まぁまぁ。アツくなるのは分かるが、もうちょいボリューム絞れや。周りにいる連中の大半は、その『しょっぱい奴ら』なんだからな」
「あ、そっスね。そういう人たちに聞かれたら、フルボッコされるっスね」
 塚本の忠告を聞いて、宮崎は慌てて口を噤んだ。ここで話題が途切れてしまったので、塚本は目先をちょっと変えようと、若者が好みそうな話題を選んで振ってみた。
「そういやミヤ、おめぇクルマ持ってるか?」
「クルマっスか? えぇ持ってますよ。中古のポンコツっスけど」
「走りゃあ上等よ。お前らぐらいの初心者なら、ぶつけてナンボだろ?」
「あー、そりゃあ偏見スよ。初心者イコール下手糞、ってのは必ずしも当てはまらないっスよ。俺だって免許とって2年目っスけど、一度もぶつけた事はないんスから。クルマだって12年オチのポンコツだけど、メッチャ大事に扱ってるっスよ」
 ちょっとからかうつもりで叩いた軽口に、宮崎が思いのほか本気で返してきたので、塚本は驚いてしまった。
「わ、悪かった。そっかぁ、オメェは慎重に、大事に乗る派だったのかぁ。いやな? 俺はとにかく、クルマを手懐ける事が楽しかったクチでな。そりゃあ荒っぽく乗り回したもんだ」
「ガソリンが幾らするか、知らない訳じゃないっしょ? そんな派手な遊び方は出来ないっスよ。リッター140円っスよ? しかもレギュラーが」
「おいおい、急にしみったれた話になってきたな? さっきまで、あんなに景気の良い話をしてたのに」
「しょうがないじゃないっスか。今はまだ事を起こしてなくて、貧乏なんスから。無い袖は振れないっスよ」
 宮崎が急に現実的な意見にシフトしたので、塚本は思わず拍子抜けしてしまった。だが、彼の言う通り、ガソリンは高価だ。いや、ガソリンに限らず、化石燃料の類は例外なく高騰している。それは、限りある埋蔵資源を掘り出しているのだから、いつかは枯渇するのが運命だろう。だが、高々20年ほどでこれほど高騰するとは思っては居らず、塚本もその問題については深刻に考えていた。
「確かに、高くなったよなぁ……ガソリンは」
「え? ガソリンが安い時代なんて、あったんスか?」
「まぁ、今と比べりゃあな。俺らが若い頃は、レギュラーはリッター90円台だったからなぁ」
「……ま、マジっスか?」
「ハイオクでも120円台、軽油に至っちゃ65円とかだったからな。今とじゃ比べ物にならんよ」
 その台詞を聞いて、宮崎は唖然としていた。余程驚いたのだろう。
「でもなぁミヤ。俺としちゃあ、21世紀になった今でも、車がガソリン燃やして走ってるなんて思わなかったよ。少なくとも、ガキの頃はな」
「はぁ? ……あぁ、電気自動車がもっと発達すると思ってたっスね? ハイブリッドじゃない、本物の電気自動車が。ありゃあまだ実用レベルに達してないっスよ。第一、遠出の最中にバッテリー切れたらどうするんです? ガソリンスタンド並みにバッテリーの補給基地があれば良いっスけど、まだまだそこまで……」
 そう言って現状のエコカー事情を持ち出す宮崎に対し、塚本は『チチチ……』と指を立てて横に振り、やや古臭い否定のジェスチャーで彼の台詞を中断させた。
「違うんだよミヤ。そもそもな、クルマが未だに地べたを這いずってること自体が、俺の未来予想図とは違ってんだよ」
「……言ってる意味が、良く分かんねぇんスけど」
 鶏の唐揚げを頬張りながら、宮崎が頭に疑問符を浮かべた。が、逆に塚本は目をキラキラと輝かせながら、楽しそうに、子供の頃に夢見た『21世紀の街』がどんなものかを語り出した。
「クルマは、ターミナルで目的地をインプットするだけで、自動的に空中に張り巡らされたパイプの中を飛んでいくんだ。人は座っているだけで良い。交差点も無いから、事故も起こらない。勿論、排ガスだって出ないから空気はきれいで、清潔なんだ。それから……」
「あー……分かった分かった、分かりましたよ。古いSFアニメに良く出てくる、アレでしょ? ビルの合間を、透明のチューブが無数に通ってて、ヒュンヒュンと楕円形の円盤みたいなのがその中を飛んでる奴!」
「そう、イメージはアレだよ。ガキの頃は、21世紀はこうなってる! って信じてたもんなぁ」
「……昭和の香りがプンプンしますねぇ」
「うるせぇ」
 暗にイメージが古臭いと指摘され、塚本は少し不機嫌になった。だが、目の前にいる宮崎は、紛れもなく平成生まれ。彼が社会に目を向けるようになったとき、時代は既に21世紀だったのだ。そんな彼に、40代のオッサンが子供の頃に夢見たイメージを話したところで、話が噛み合う筈は無いだろう。
「……まぁ、よぉく考えてみりゃあ、30年やそこらで街並みがあんな風に変わる訳がねぇんだよな」
「そぉっスよ。第一、そんな短期間で文明が発達しちゃったら、人類はそのスピードに付いて行けずに自滅しますよ」
「いや、案外……もう付いて行けてねぇ部分も、あんじゃねぇか?」
「単に、オッサンなだけなんじゃないスか?」
「……奢んねぇぞ」
「あー、そりゃあねぇっスよ!」
 慌てる宮崎に『ジョークだよ』と言い添えて、塚本はケラケラ笑った。
「ところで、『付いて行けてない』って、どの辺が?」
「原子力だよ。アレは一見使いこなしてるように見えるが、一度トラブったら大騒ぎじゃねぇか」
「あー、確かに。そういう意味じゃ、使いこなせてませんよね。でかすぎるパワーに振り回されてる感じっス」
「だろ? 第一、世界で一番やべぇ爆弾と同じモンを燃料にしてるんだぜ? 考えただけでおっかねぇよ」
「福島のアレだって、まだ解決してませんもんねぇ」
 宮崎が、2011年3月の大震災に伴う津波の被害で、福島第一原発が事故を起こした時の事を回想し、身震いした。
「詰めが甘ぇんだよな。第一、おっかねぇモンを扱ってるんだっていう緊張感が足りねぇよ。なんだよ、あのお粗末な防護装置はよ。屁の役にも立たなかったじゃねぇか」
「まー、作った側からすりゃ、想定の範囲外……って奴だったんでしょうね」
「ったく、ソ連の時の教訓が何一つ生かされてねぇんだからな。呆れるぜ」
「ソ連……?」
 耳慣れない単語に、宮崎は思わず首を傾げた。が、数秒考え込んだ後、あぁ! と手を叩いて応えた。
「チェルノブイリの事っスね? 一瞬わかんなかったっスよ。つーか、今はロシアっスよ。ロ・シ・ア!」
「うっせ! 事故った頃はソ連だったんだから、良いんだよっ! それにな、あそこはウクライナだ! 間違えんなバカ!」
 思わず当時の呼称であったソ連という名を出してしまい、それを宮崎に指摘される塚本だったが、『あの時はソ連だった』という言い方で誤魔化し、更に宮崎の間違いを指摘する事で反撃に出た。
「旧ソ連の大半はロシアなんだから、大間違いって程でもないじゃないっスかぁ……大人気ないなぁ、すぐムキになって」
「いーや、情報は正確じゃなきゃイカンよ」
「……それを言うなら、チェルノブイリと福島じゃ、事故の原因そのものが違うじゃないっスか。単純に比較しちゃダメっスよ」
「う……と、とにかく! あぶねーモンを扱ってんだって事を、第一に考えなきゃダメだっつってんだよ、俺は!」
「まぁ、それは同感っスね」
 これ以上追求したら、本日のスポンサーである塚本を怒らせてしまう。そうなると、財布の中身が乏しい宮崎は非常にまずい事になりかねない。彼は早々に彼の言に同意し、更に話題を摩り替え、危険の回避に掛かった。
「しかし、原発がダメとなると……これからのエネルギー問題はどうなるんスかね?」
「んー……俺がガキの頃の予想じゃ、太陽エネルギーとか、他の惑星から資源を運んでくるとか。そんな感じだったな」
「またマンガネタですね?」
「予想っつっただろ? 現実には無理だって事ぐらい分かってるよ。少なくとも、他の星から……ってのはな」
 子供の頃の夢を小馬鹿にされたようで、塚本は少し寂しげになった。それを見た宮崎は、しまった! といった感じで慌てて質問を変え、塚本に主導権を握らせようと試みた。
「エーと……塚本さんって、一体『21世紀』にどんな夢を見てたんスか?」
「え? あー、うん……そうなぁ……」
 急に話題を振られたので、逆に塚本は慌ててしまった。何しろ、どんな夢を見ていたか? なんて質問が来るとは、思っていなかったのだ。
「まぁ、とにかくな。矢鱈と科学の発達に期待してた感じはあったな。勿論、殆どは空想の産物に過ぎねぇんだけど、それが妙にリアルな設定だったりしてな。例えば……ホレ、テレビ電話とか」
「あぁ、それだったら実現されてるじゃないっスか。SNSとかで」
「そうそう。そんな風に、強ち空想の産物だけで終わってない物も、結構あるわけよ。だから時々、これがこうなったら良いなぁ、みたいに空想しちまうのさ」
「なぁんだ、それだったら俺だってしますよ。メイドロボとか、居たら良くないっスか? ババァの家政婦とかじゃなくて、口答えもしなくて、もちろん可愛い女の子の姿で……」
 理想のベクトルに多少のズレはあるが、やはり似たような事は考えてるんだな……と苦笑いを浮かべながら、塚本は宮崎の話に耳を傾けていた。
「……なーんてね。あくまで理想っスよ。そこまで精巧なロボット、今の科学力じゃ出来るわけないっス」
「俺がガキの頃のマンガの中じゃ、あと3年後に人間と意思疎通が出来る人型ロボットが空を飛ぶ事になってたぞ?」
「そこが、塚本さんの理想の原点な訳っスね」
「それだけ、科学の発展に期待してたって事さ……けど、現実には、まだそこまで研究は進んじゃいねぇ。AIもマニピュレーターも、そういう意味での実用までにはまだ相当かかるだろ。人型ロボットに意識なんて、夢のまた夢さ」
 2杯目のビールを飲み干した塚本が、寂しそうに俯きながらジョッキの水滴を弄んでいた。そんな様子を見て、少し空想世界の話題から離れた方がいいかな? と、宮崎が考え始めたその時……
「あ、お前もスマホにしたのか?」
「おーよ。ビジネスマンたる者、これぐらいのアイテムは使いこなさねぇとな!」
 向かい側に見えるカウンター席で飲んでいる若い男性二人が、携帯電話を見せ合っているらしい。そのやり取りが耳に届いたのか、塚本がふいと顔を上げ、宮崎に問い掛けた。
「……ミヤ、おめぇもスマホって奴、使ってんのか?」
「いやぁ、機種変する金ないっスよぉ。俺のはホラ、昔ながらのガラケーっす」
 そう言って、宮崎は自分の携帯電話を見せた。それは塚本にも馴染みのある、一般的な携帯電話だった。
「……それが、どうかしたっスか?」
「いや……ここんとこ、聞けばあっちでもこっちでもスマホ、スマホだろ? ありゃあ、そんなに便利なモンなのか? と思ってな」
「あぁ、そういう事っスか。いや、ケータイでネットやりたいっていうニーズが無ければ必要ないっスよ。俺だって興味はあるけど、別に欲しいとまでは思ってないっスから」
 宮崎の説明を聞いて、塚本は呆れ返ったような顔になった。それを見た宮崎は、自分の説明に何か気に入らない点があったのかと、慌てて問い質したが、塚本は『違う、違う』と苦笑いを見せながら、今の表情の理由を述べた。
「インターネット、か。確かに便利だけどなぁ、いつでも何処でも……とまでは思わねぇな。今持ってるコイツでだって、ある程度までならPCと同じ情報が見られるようになってるけど。俺はそこまで使い込んでねぇしな。それに……」
「……それに?」
「そもそも、コイツは電話だぞ? 電話。話せりゃ上等な機械に、カメラだのネット機能だの、ゴチャゴチャくっつけ過ぎなんだよ。唯一良いなと思えんのは、Eメールぐらいなもん……何だよその顔は?」
 その発言を、意外そうな表情で見ている宮崎に気付いて、塚本は台詞を中断して問い質していた。
「……いや、あれほど『未来の科学に期待していた』を連発してた、塚本さんの台詞とは思えなくて」
「あのなぁミヤ。何でもかんでもコンパクトに纏めりゃ、それ即ち便利アイテム……って訳じゃねぇんだぞ?」
 その台詞を聞いて、宮崎はますます不思議そうな顔になった。
「つまりな。一体に纏まってた方が便利なモンと、そうじゃないモンがあるんだよ。例えばアレだ。俺はな、鉛筆のケツに消しゴムくっつけた野郎は天才だと、今でも思ってる」
「あー、確かに。同じ発想を真似して、ホウキのケツに塵取りくっつけたって、使い物になりませんもんね」
「そういう事だ。確かに、ケータイのネット機能は電話に使う電波を利用してアクセスする訳だから、強ち間違いって訳じゃあねぇ。けど、あんな小せぇ画面とキーでチマチマ操作しなきゃなんねぇモンが、果たして便利と言えるか? それに、ネット見てる最中に電話が掛かって来たら、画面から一旦目を離さなきゃならねぇ。こりゃあイライラするぜ?」
 熱を帯びる塚本の弁に、宮崎がちょっと待ったとばかりにストップを掛けた。
「そりゃあそうっスけど……でも塚本さん、PCでネット見てる最中に電話が掛かってきても、同じ状態になりません? 離れた所に電話があったら、どっちにしろ画面からは離れなきゃならないじゃないっスか」
「バカかオマエは。そのためにコードレス子機や、コイツがあるんだろが。離れた固定電話に掛かって来ちまったら、そん時は諦めるしかねぇが。そうならなくて済むように、あらかじめ準備する事は出来るだろうがよ」
 宮崎は手元の携帯電話をジッと見ながら、なるほど……確かにネット見ながら電話は出来ないな、と頷いた。塚本の弁は集中力を欠く『ながら』仕事を推奨する間違った主張ではあったが、確かに電話口で会話を続けながら、手元の資料を見て情報を得る必要がある場面も多々存在するものだ。
「そっかぁ……そういう意味では、これはまさに『ホウキと塵取りの合体』に似てるっスね」
「だろ? だからアレは、世間で騒がれてるほど便利なモンじゃねぇと俺は思うぜ。ま、実際に使ってみた訳じゃねぇから、頭っから否定はしねぇけどな。使ってみたら、案外便利なアイテムかも知れねぇし」
 スマートフォンを否定気味に評価している塚本だが、根本からダメだと思ってはいないようだ。宮崎の説明と、自分が店頭のデモを見て判断した限りでは、かなり役に立つシーンも想像できたからである。
「しかし……塚本さんに言われて気付いたんスけど。このケータイだって、100%機能を使いこなしちゃいないんですよね、俺」
「俺だってそうだ。何だか分厚い取り説が付いてたが、最初のトコだけ読んで、あとはポイ! だぜ」
「そう考えると、色々と勿体無い気がしますねぇ。あの連中だって、スマホの機能を何処まで使いこなせるやら」
「アレは『持ってなきゃ恥ずかしい』と思い込んでるミーハーの類だろ? 必要に迫られて買ったような雰囲気じゃなさそう……」
 ……と、そこまで言ったところで、塚本が急に黙り込んでしまった。それを怪訝に思った宮崎が、思わずその顔を覗き込んだ。
「……急に黙っちゃって、どうしたんスか?」
「あ、いや……ビールを……ん? 待て待て、そろそろ切り替えてくか。何が飲み放題なんだっけ? さっきのクーポン見せてくれや」
 少し慌てたような雰囲気で、塚本が飲み物の追加を提案した。彼は自分の発言によって、自分の夢物語を根底から否定してしまっていた事に気付いたのだ。だが、それを認めたくないが為に、慌てて話題を切り替えて、その事を頭から切り離そうとしたのである。
(必要でない物は、創り出す必要自体が無い……つまり、俺がガキの頃に見たアニメやマンガの中のロボットやメカや、アイテムなんかは不必要だから、今まで作られなかったんだろうな。考えてみりゃ、簡単な理屈だよな。エアカーなんかは技術が未熟だからだとしても、人が乗るロボットなんかは、作ろうと思えば作れるはずだ。2足歩行は無理でも、4足にマニピュレーターなら……)
「……さん! 塚本さん!」
「ん? ……あぁ、わりぃ。ちょっと考え事してた」
「ったく、どうしたんです? まさか、中生2杯でもうギブアップっスか?」
 思考の闇に落ちかけていた塚本を、宮崎が正気にさせていた。しかし塚本の落胆は酷く、声を掛ける宮崎の目を正面から見られない程であった。
「いや、酔っちゃいねぇよ。ただ、ちょっと嫌な事に……気付いちまったんだ」
「はぁ? ……まさか、ケータイの通話料、未払いだったのを思い出したんスか?」
「バカ、そんな事で落ち込むか! 第一、いくら何でもそこまでビンボーじゃねぇや!」
 すっかり雰囲気の暗くなった塚本を元に戻そうと、宮崎がジョークを飛ばした。だが、彼はそれをジョークで返すだけの余裕も無く、思わず真顔で怒鳴ってしまった。が、怒鳴り声に驚いた宮崎を見て、ハッと冷静さを取り戻した。
「わりぃ……今のはねぇよな。悪気はねぇんだ、スマン」
「あ、いや……って言うか、どうしたんです? いきなり真顔で怒鳴るほど、余裕なくすなんて。らしくないスね?」
「はは……ガキの頃からの夢を、テメェでぶっ壊しちまったんだ。落ち込みもするさ」
「は……?」
 塚本は、訳が分からんといった感じの宮崎に、たったいま自分が思い及んだ事を説明した。すると彼は、なぁに言ってんですか? と、逆に呆れたような顔になって塚本に言い放った。
「な、何がおかしいんだ?」
「ふぅ……まず、飲み物のお代わりを注文して、仕切りなおしましょ。塚本さん、ブルー入りすぎっスよ」
 コイツ、何を言い出すつもりだ……? と、少々不安げになりながらも、塚本は趣向を変えてジンライムを、宮崎は梅酒のロックを注文し、会話はドリンクが到着するまで中断された。その間、4〜5分というところだっただろうか。塚本にとっては、妙にその時間が長く感じられた。
「さてと……いいっスか? 塚本さん。アナタはさっきまで、目をキラキラさせながら、子供の頃に夢見た未来予想図を俺に語ってくれてましたよね?」
「お、おぅ」
 完全に主導権を奪われ、やや気圧された感じの塚本が、宮崎の言葉に耳を傾けた。
「確かに、今の技術じゃ実現できないモンも沢山ありますよ。けど、どうしてあの予想の通りになってないか。その結論付けのトコで、アナタは間違ってます」
「間違い……?」
「例えば古いSFアニメなんか見てると、コンピュータの演算結果が紙テープに打ち出されて、それを読んで白衣着たおっさんが『なんだと!?』とか驚くシーンがあるっスよね。あれって、よーく考えたらあり得ないでしょ?」
「え? あ、あぁ……確かにな。普通なら、そういう情報はモニターに表示されるわな」
「ね? レジのレシートじゃあるまいし、あんなモンを打ち出してる暇があったら、モニターでサクッと確認するでしょ? 記録を残すなら、後からやりゃあいいんだし」
 ふむふむ、という感じで、塚本はすっかり話に夢中になっていた。宮崎は実際にそういった古い時代を経ていないだけに、現在になってから昔の作品を見て、違和感を覚えるシーンが多々あったのだ。
「それから、塚本さんが好きそうなシチュだと……そうそう、さっき話してたアレ! チューブの中を走るエアカー! アレって確かに楽チンだし安全っスけど、途中でションベンしたくなったらどうするんスか?」
「あ……そりゃー、困るなぁ」
「でしょ? だから、チューブの代わりに高速道路が整備されたんスよ。それに、まだ普及しきっては居ないけど、クリーンなエネルギーを使うことで低公害を目指した電気自動車も、研究・開発が進んでるっス……さて、いま二つの例を出しましたが、この二つの話題には共通点があるっス。分かるっスか?」
 ビシッと目の前に指を突きつけられ、すっかりタジタジの塚本が、腕を組んで唸り始めた。
「……コレは、塚本さん自身が答えを導き出さないと、解決にならないっス。頑張ってくださいね?」
「ど、どういう意味があるってんだよ……」
 その問答を最後に、宮崎はピタッと喋るのを止め、飲みに専念しだした。これは、答えを出さない限り開放されないだろうな……と、塚本は真剣に考え始めた。そして、熟考すること10分あまり、漸く一つの結論に辿り着いた。
「……つまりは、想像通りにはならなかったけど、形を変えて実現されてる物もある……って事か?」
「ピンポーン!」
 既に空になったグラスを弄びながら次のメニューを選んでいた宮崎が、ニヤリとしながら、塚本好みの古い表現で、その回答が正解である事を告げた。
「確かに、昔の想像通りに作ったら不便な物もあるっス。それが紙テープ出力だったり、チューブエアカーだったりする訳っス。けど、それらは今、より便利な形に姿を変えて実現している。違いますか?」
「そ、そうだな、うん……その通りだ。マンガで表現されていた世界はあくまで理想像……っていうか、それらがまだ想像の範囲を出ない時代に描かれたもので、実際にやったらどうなるかまでは、考え至らなかった訳だな」
「そういう事っス。腕時計サイズじゃないにしてもテレビ電話は実現してるし、マンガの中じゃヒーローぐらいしか持ってなかった無線通信機が、ケータイという形になって一般にまで普及している。コレはある意味、塚本さんの理想が形を変えて具現化された一例じゃないんですか?」
 その一言を浴びせられ、塚本は暫し沈黙した。が、やがて、すっかり氷の溶け切ったジンライムを一気に煽ると、ガハハハ! と大声で笑い、スッキリしたような表情になって言い放った。
「参った、参ったよ。まさか、オマエに説教されるとは思わなかった。完全に一本取られたわ」
 胸の支えが一気に取れたような感じと言った塚本に、宮崎はニッと微笑み返して、付け加えるように言った。
「塚本さんはさっき、不必要だから実現しなかった……と言いました。それもある意味、間違いじゃないんです。例えば、コレもさっき塚本さんが言った事っスけど、掃除ロボットが自分の捨てたゴミを即座に拾いに来たら、ちょっとイラっとしません?」
「ん? ……あー、確かにそうだな。オメーは今いけない事をやったんだって、無言で示されたみたいでカチンと来るわ」
「ね? 塚本さんの子供時代から、少なくとも30年は経ってるはず。その間に間違った表現は淘汰されて、便利そうな物だけが研究・開発されて今に至る。それが、現在の世界って訳っスよ」
「だな。まぁ、ロボットに関しちゃ、壁が高すぎてクリアできなかったんだとして……」
 次のメニューを注文する為、呼び出しボタンを押しながら、宮崎がその台詞を遮った。
「そいつは、俺たちの次の世代に任せましょうよ。塚本さんが昔夢見た世界があるように、俺たちの世代にも、ちゃんと夢物語はあるんスから」
「ちげぇねぇ! ……ってオイ! 俺ぁまだ、次の注文決めてねぇぞ!?」
「もー、サクッと決めてくださいよ。飲み放題、時間制限あるんスからね」
「ばっ……それを早く言いやがれ!」
 と言っている最中に、もう給仕が来てしまい、塚本は慌てた。が、そうなると益々、考えが纏まらなくなるものである。
「うー……ジンライム、おかわり!」
 仕方なく、塚本は先程と同じ物をオーダーした。
「おいミヤ、リミットまで後どれぐらいだ?」
「えーと、6時20分スタートだから……あと1時間ちょいありますね。2時間有効っスから」
「ハァ……時間ってのは、過ぎてみると早いもんだなぁ。もう1時間もこうしてダベってるって事か」
「そう。光陰矢の如し、っスよ」
 年少の宮崎にその台詞を言われて、塚本はすっかり形無しであった。こうなるともう、苦笑いを浮かべるしかない。
「確かになぁ……ボンヤリしてる間に、俺ももう白髪混じりのオッサンだ。ついこないだまで、無邪気に遊んでた気がするがなぁ」
「そういや塚本さん、どうしてその年でバイトなんです?」
「あー? 20代の若い奴と40男が揃って面接受けに行ったら、オメーならどっちを取る?」
「……そういう事っスか……厳しいっスね」
 いきなり嫌な現実を突きつけられ、宮崎は言葉に詰まった。が、その時、丁度良く追加のドリンクが到着した。
「まぁまぁ! ホラ、飲み物来たっスよ! 飲んで、嫌な事は忘れちまいましょう! 今日はその為に、ここに来たんでしょ?」
「ふん……ま、ぼやいても始まらねぇしな。よーし、時間いっぱいまで飲みまくってやる! ペース上げるぞ!」
「無理しないで下さいね? 引き摺って帰るの、嫌っスよ?」
「オメーこそ、潰れんじゃねぇぞ? ……おい、つまみも追加しようぜ」
「了解!」
 半ば投げやりにも見えたが、とにかく塚本のダークサイド墜ちは防ぐ事が出来て、宮崎はホッと胸を撫で下ろした。
「ところでミヤ。宇宙人って信じるか?」
「はぁ? ……まぁ、宇宙は広いっスからね。どこかに知的生命体が居ても不思議じゃないかな、とは思いますけど……」
「俺がガキの頃は、火星人が居るって信じられてたんだ。今じゃ居ない事が確認されてるけどな」
「あー、あのタコみたいな奴っスよね?」
 そうそう! と、塚本は嬉しそうに頷いた。先程の事は忘れて、すっかり上機嫌になったようだ。ここで宮崎は、彼の機嫌を取るには、彼の主張に逆らわない事が鉄則だ! と悟り、そしてそれは正解であった。根が単純なだけに、自分の意見に同調する奴を見付けると、彼はそれだけでご機嫌になるのだ。
「何であんな格好なんスかね?」
「んー、実際見た奴が居ないから何ともだが、火星の環境を調べてった結果、生物が居るとしたらこういう格好になるって、昔の作家が想像したんだよ」
「へぇー、科学者が考えたんじゃないんスね」
 意外そうな顔で、宮崎が相槌を打った。無論、これは塚本の機嫌を取る為ではなく、本当に知らなかった為だが、それが益々、塚本をヒートさせた。
「実際に見たって証拠や、映像資料なんかが残ってない限り、ああいうアタマの硬い連中はあんなビジュアル考えたりしねぇよ。こういうシーンでこそ、そう……想像力が物を言うんだ」
「宇宙人のビジュアルはともかく、火星に生命体が居るかも? っていう想像に至るまでに、相当手間が掛かりそうっスからねぇ」
「だから、科学の発展は頭打ちになってるんだよ。想像力を膨らませて、ありえねぇ物を創っちまうぐらいの勢いが無きゃ、これから先の発展なんか期待できねぇよ」
「そぉっスか? 人間の労力が最低限で済むようにって、オートメーション化がどんどん進められてるじゃないスか。アレも科学の発展の一端でしょ?」
 段々と目の辺りが赤くなり始めた宮崎が、スクリュードライバーを煽りながら反論するが、それに対して塚本は、ふぅ……と息をつき、そうじゃねぇんだよ、と言いながら首を横に振った。
「分かっちゃねぇなぁ、オメーも……いいか? あんなのは、単に楽がしてぇから単純作業を機械に任せるように作っただけのモンだ。ただ……ただ、同じ動きをひたすら繰り返すだけの味気ねぇ機械の塊だ。想像力なんかこれっぽっちも……使っちゃいねぇよ」
 返す塚本もまた、徐々に酔いが回ってきたと見えて、目元が赤くなっていた。それに、段々と呂律も怪しくなってきていた。が、彼らの飲みと討論は終わらなかった。
「おいミヤ! 注文だ……今度は選ばせろよ、品書き寄越せ!」
「メニューっスよ、メニュー! スマートにいきましょうよ」
「うっせ! ここは日本だ、日本語使って何が悪い……ヒック! ……おし! 冷酒たのむわ、冷酒!」
「じゃあ俺は、ウィスキーコーク!」
 各々に注文し、ウエイターが下がると塚本はまた宮崎に話し掛けようとしたが、このタイミングで彼はタイムを掛け、トイレに立った。一人になった塚本が、ふと周りを見渡すと、いつの間にやら店内は混雑し始めており、会社帰りのサラリーマンと思しき若者も居れば、仲睦まじく同じ皿の料理をつつくカップルも居た。
「……いつの間にやら、こんなに賑やかになってやがったか。気付かなかったぜ」
 周囲の客たちが何を考え、何を語り合っているか……そんな事に興味は無い。だから、飛び交う声も彼の耳を素通りし、ただの雑音として認識される。他者の会話に聞き耳を立てたところで、何の特にもならない事を、彼は知っていたからだ。
「ミヤの野郎、長ぇションベンだな」
 そんな事を呟きながら、彼はふと、先程宮崎が口にした『オートメーション化』というキーワードを思い出していた。
「自動化……合理化……その餌食が、世の中にあぶれた就職難民たち、か。ま、俺もその一人だがな。あーあ、人間ってのは、何処まで楽を求めりゃ気が済むのかねぇ。機械の力に頼り、人間を必要としなくなる。それが、いずれ我が身に災いする事にも気付かずに……どんどん究極の怠け者を目指して、生物としては退化していきやがる。こんなんで良いのかねぇ」
 と言いかけた時、注文したドリンクが届いた。それらを丁寧に配置し、空き皿を片付けて愛想よく立ち去ろうとした給仕に、塚本は思わず話し掛けていた。
「お姉ちゃん、アルバイトかい?」
「え? あ、はい、そうです! 何か、至らないところ、ありましたか?」
 いきなり話し掛けられた給仕は、自分が何かミスをしたのかとアタフタし始めた。それを見た塚本は、慌てて説明を加えた。
「違う違う。若い女の子が、遅い時間まで大変だなーと思ってね。オジサンのお節介さ」
「あ、そうでしたか……お気遣いありがとうございます!」
「何時までやってんの?」
「閉店……2時までです」
「そんなに遅くまでかい、大変だねぇ」
 と、そこまで会話が進んだ時、宮崎が戻ってきた。
「あー! 塚本さんズルいっスよ! なにバイトのオネーチャン口説いてんスか?」
「ば、バカ! 違うって! 単に労ってただけだ!」
「どーだかぁ……ね、なんか変な事、言われなかった?」
「あ、いえ、その方の仰る通りです……申し訳ありません、仕事中ですので! では、ごゆっくりお楽しみ下さい!」
 パタパタと走り去っていくアルバイトの女の子を目で追いながら、宮崎が恨めしそうに塚本に食って掛かった。
「あの子、さっきから可愛いなーと思って目で追ってたのに……塚本さんに先越されちゃうとはなー!」
「だから、人聞きの悪い事を言うなって……第一、俺があんな若い娘を口説いてどうするってんだ」
「……あぁ、そういや塚本さん、さっきエレベーターの中でも顔真っ赤にしてましたもんねぇ。要するにアレだ、相手を女性と意識するとダメなタイプだ! そうでしょ?」
「……!! あぁそうさ、俺は女が苦手で、この年まで独り身で過ごしてきたんだよ! 悪いか!?」
 図星を衝かれて、塚本は思わず語気を荒げて照れ隠しをした。
「む、ムキにならないで下さいよぉ……ちょっとからかっただけでコレだもん、下手な事言えないなぁ。まったく」
「言葉を選べって言ってんだよ。誰にだって、触れられたくない一面ってのはあるもんだ」
「ハイハイ……で? 何でバイトの子なんかに話し掛けたんです? あの子がオーダーミスでもやらかしたんスか?」
 半ば呆れたような口調で、宮崎が問い掛けた。塚本は、自分が考え事をしていたタイミングでさっきの給仕が登場して、働く人間の尊さって奴を改めて感じて、つい労いの声を掛けてしまったのだと説明した。
「はぁ……確かに、今の就職難の原因の一つはそれっスからね。でも、選り好みしなきゃ、仕事なんていっぱいあるっスよ?」
「オメーさっき、サラリーマンになるのすら難しいからどうとか言ってたじゃねぇか」
「俺は、ああいうショッパイ人生送りたくねぇだけっスよ。根本的に着眼点が違うっス」
「……そういうのを『選り好み』って言うんじゃねぇか」
 その一言に、宮崎は『そうですよ?』と胸を張った。しかし彼は、こんな仕事は嫌だから、この業種はキツいから……そういう理由で好き嫌いを言っている訳じゃない。自分には自分の人生プランがあって、それを目指した結果がこの『選り好み』なのだと、キッパリと言ってのけた。
「……ま、リスクは高いっスけどね。失敗して落ちぶれて、その後で修活したって、もう遅いっスから」
「落ちぶれる以前に、その人生始まらねぇかも知れねぇじゃねぇか」
「チャレンジしないで諦めんの、一番嫌いなんスよ。だから今、頑張ってるんじゃないですか」
 果てしなく遠い、雲を掴むような夢だが……それを追っかけて必死になってるんだな、コイツは……と思うと、塚本はそれ以上の追及をする事は出来なかった。
「そこまでキッパリ言い切るんなら、よっぽど決心は固いんだろな。ま、頑張れや」
「言われなくたって頑張りますよ、自分の夢っスからね」
 夢か……と、塚本はまた遠い目で虚空を見上げた。そして、そういえば俺は世の中が発展した先の未来に、何を期待してオトナになったんだろう……そんな事を考え始めてしまった。
「塚本さぁん、まーたブルー入ってますね?」
「ちょっと考え事をしてただけだ……別にブルーになんかなっちゃ居ない」
 そう言って、塚本は寂しげに目を伏せた。科学文明が発達し、世の中が幾ら便利になったって、自分が前に進む為の努力を怠っちゃ何にもならない。そうなれば、世の中の流れに取り残された自分が残るだけ。便利になる事と楽になる事とは、まるっきり別の問題なのだ。
「……そうだよな。幾ら文明が進んでも、それらを扱うのは俺たち自身なんだよな……」
「い、イキナリ何言い出すんです? もしかして、もう限界ですか? 酔っ払ってますか?」
「オメーだって、充分すぎるほど酔っ払ってらぁ。何だよそのナリは、チャック閉め忘れてるぞ」
「いぃ!? そ、そういう事はもっと早く教えてくださいよ! それと声がデカ過ぎっス!」
 慌てて前チャックを閉める宮崎を見てケラケラ笑いながら、塚本は先程の独り言を有耶無耶にするかのように呑みに徹した。彼のオーダーは冷酒。キンと冷えた日本酒をガラス製の猪口に注ぎ、一気に煽る。元々酒にはあまり強くない彼だが、その味わいを楽しむのは好きだった。
「……俺は……何を勘違いして、未来に夢見てたんだろうなぁ。現実から目ぇ逸らして、逃げてばかりで……」
「ちょ、ちょっと、塚本さん? ……ダメだ、遠い世界に逝っちゃってるわ」
「バカヤロウ、俺は正気だ。マジに物考えてっ時に、茶々いれんじゃねぇ」
 確かに、自分の意志を持った人型ロボットも、完全クリーンなエコカーも実用に至っていない。その点では、彼が子供の頃に抱いた理想の世界とは食い違った未来となっている。が、もしその想像通りの未来が訪れていたとして、その中で自分はどのように過ごしているだろうか……二杯目の杯に口を付けながら、彼は想像してみた。
「……もしかしたら、ロボットにこき使われながら、ジジィになってたかも知れんな」
「まぁ、今ですらあんなチョロい若造に頭上がんないんスからね。ありえますね」
 塚本が何を考えているのか察しの付いた宮崎が、先程のお返しにと彼に辛辣なコメントを返した。そこで反撃が来るかと思って身構えたが、塚本は俯いたまま、そうだなぁ……と呟いていた。
「お客様。飲み放題のお時間、終了近くなっております。これでラストオーダーとさせて頂きますが、いかがなさいますか?」
「ん? あぁ……じゃあ俺、冷酒お代わり」
「俺は……ウィスキーのソーダ割りで」
「かしこまりました」
 もうそんな時間か……? と、塚本は腕時計を見た。古めかしいアナログ式の時計だ。デジタル時計はどうも好きになれないという理由で、学生の頃からずっと愛用している物だった。
「どんな世の中が訪れようと、結局は自分が変わらなければ、未来もずっと同じって訳か……」
「なぁに、分かりきった事を……あったりまえじゃないっスか。そんなこったから、あんな奴に顎で使われてんスよ、アナタは!」
「ちげぇねぇ!」
 宮崎に頭をポカポカと小突かれながらも、塚本は腹を立てる事は無く、逆にガハハと笑い飛ばした。二人とも、相当酔いが回っているらしい。
 そしてラストオーダーの飲み物が到着すると、塚本はその給仕に、締めに茶漬けが食いたいんだが? と注文した。その給仕は先程のバイトの女の子だった。
「海苔、鮭、梅の三種類からお選び頂けますが」
「梅で頼む」
「ありがとうございます!」
 見ると、宮崎は届いたばかりのグラスを持ったままの格好で、既に半目になっていた。彼もアルコールはそれほど得意ではないらしい。恐らく、飲み会の雰囲気が好きで参加してくるタイプなのだろう。
「あーあ、話し相手が寝ちまったか……しょうがねぇな、ったく」
 溢したりしてはいけないと思い、宮崎の手からグラスを離し、それを自分の手許に置いた。
「勿体ねぇから、これは俺が頂くぜ。飲みたかったら、後で何か買ってやっからな」
 既に眠っている宮崎に一応の断りを入れてから、塚本はグラスの中のソーダ割りウィスキーを一気に煽った。炭酸の刺激が心地良い。
 そして、自分の冷酒に手を付ける。一合入りの小瓶だから、猪口に3杯も注げば無くなってしまうそれを、彼はチビチビと楽しんだ。そうしている内に最後に頼んだ梅茶漬けが届き、同時にバインダーに挟まった伝票が手渡された。
「お? 結構呑んだのに、案外と安いな。流石に学生さん御用達なだけの事はあるな」
 そんな事を呟きながら、茶漬けの上に乗った梅干を一口かじってから、茶と一緒に飯をかき込んだ。未来がどうのと語っていた奴が、古典的な酒の締め方をしている……やはり、想像上の未来よりも目の前の現実だよなぁと、彼は茶漬けをかき込みながら、腹の中で笑った。

**********

「……あ、あれ?」
「おぉ、起きたか。んじゃ降りろ。テメェ、か細い割に重たくて敵わねぇ」
 塚本は負ぶっていた宮崎を背中から降ろし、やれやれと肩をグルグル回した。そして宮崎は、最後にウィスキーのソーダ割を注文した時点からいきなり記憶が飛んだので、軽いパニック状態になっていた。
「……俺、確か、ラストオーダーのドリンク頼んで……あれ?」
「あぁ、アレなら俺が貰ったぞ。残すのも勿体無いんでな」
「えー! 俺、最後は必ずアレで締めるのに! 塚本さん、コンビニので良いから買ってくださいよ!」
「やめとけ。それ以上飲んだらオマエ、明日確実に二日酔いで現場出れなくなるぞ。ジュースなら買ってやる」
 塚本の忠告に対し、宮崎は地団駄を踏んで不満を表現していた。
「良いっスよ、自分で買いますから!」
 宮崎はそう言って、目の前に見えているコンビニに向かって歩き出したが、数歩で足がもつれ、その場に横転した。
「だから言ったろうが。相当回ってんぞ、無理すんな……ところでオマエ、何線で帰るんだ?」
「○○線っスけど……」
「……残念だったな、さっき終電が出たトコだ」
「え!?」
 塚本は、宮崎の家が何処にあるのか知らないため、彼を負ぶった状態で暫く街を歩きながら時間を潰していたが、それでも一向に起きる気配が無いので、仕方なく自分のアパートに連れて行こうとして、そのまま帰路に付こうとした所だった事を明かした。
「タクシー呼ぶか?」
「そんな金があったら、呑み放題クーポンなんか使ってケチんないっスよ……うぷっ!」
「あーあー……しょうがねぇな、ったく」
 典型的なヨッパライ状態となった宮崎を介抱しながら、塚本は『自分らの若い頃と、何も変わっちゃいねぇな』と苦笑いを浮かべた。それは自嘲の笑いではなく、文明が発達しても、人間そのものは変わらないんだという事を再認識した自分が可笑しくなって、思わず出た笑みであった。
「オラ、全部出したか?」
「……ウス」
「じゃー、ちょっと待ってろ。何かスッキリするもん、買って来てやる」
 そう言って塚本は、先程から見えているコンビニに足を運び、スポーツドリンクを数本籠に入れてレジに向かった。が……
「……あ、あれ? さっきの飲み屋で、現金ぜんぶ使っちまったか? まじぃな……今日はキャッシュカード持って来てねぇし……」
「お客さん、Snica持ってます?」
「あ? あぁ、それならあるけど」
「それでお支払い出来ますよ?」
「え? ホント?」
 店員は、電車に乗る時に使うプリペイドカードでも支払いが出来る事を塚本に教え、彼に改めて『文明は確実に進歩している』事を実感させた。
 そして無事に買い物を済ませ、青い顔で俯いている宮崎の元に戻り、冷えたスポーツドリンクのボトルを一本、彼に手渡した。
「ゆっくり飲めよ、一気に煽るとまた気分悪くなるぞ」
「ウス……」
 そうして塚本は、ふと腕時計に目を落とす。宮崎が回復するのを待とうとも思ったが、それでは自分の使用路線も終電の時間になりそうだったので、グロッキー状態の彼に肩を貸しながら、ゆっくりと歩き出した。
「今夜は俺んちに泊まってけ。汚ねぇアパートだが、ダンボールハウスよりゃマシだからよ」
「ウス……」
 蚊の鳴くような声で返事をする宮崎を促しながら、塚本は先程レジで驚かされた事を思い出していた。ほんの些細な事ではあったが、自分の知らない世界の扉が一つ開いた瞬間だった。自分が考えていたよりも、世の中は遥かに進んでいたのだ。
(……俺たちが思い描いた未来は、実はもうそこまで来ているのかも知れんな)
 まだ意志を持ったロボットも居ないし、空飛ぶクルマも登場してない。だが、近い未来に、自分達の次の世代の誰かが、必ずそこに辿り着く……そんな予感が、彼の脳裏を掠めるのだった。

<了>




今回は、小説って言うよりも……自分の頭の中身をキャラに代弁させたような格好になりました。
ふとしたやり取りから、今はもう21世紀で、遠い昔に巨匠たちが想像した未来の訪れる年が、もう間近に来てるんだなーと
気付いたところから、今回の筆運びとなりました。
因みに、主人公のモデルは私自身、話し相手の若者は私がネットで知り合った現役の大学生の方がモデルとなっております。
主人公が40オヤジの、ヨッパライ同士の会話がメイン……今までとは全く違う展開に戸惑った方、ゴメンなさい(笑)

なお、タイトルを見て気付いた方もいらっしゃるかと思いますが、このタッチでシリーズ化してみようかなと思ってます。
あの時こうなっていたら、今はどうなってたかな……これがテーマになります。
読者様からのテーマ提供もお待ちしておりますので、面白いネタをお持ちの方、どうぞご応募下さい(笑)
(2012年7月13日)


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