『IF』第三節〈モニター越しの息吹〉
『オマエ、弱いくせに出しゃばり過ぎなんだよ』『ダメだコイツ、使えねー。速攻で瀕死になるから回復させんの大変だし』
『そういう訳だ、アンタ抜けてくれないか? パーティーのお荷物なんだよ、空気読んでね』
モニターに表示される、罵詈雑言の数々。それを読みながら、彼――松田雄二は苦笑いを浮かべていた。
そして深呼吸をすると、キーボードに向かって思い浮かぶ限りの文句を叩き付けた。ささやかな反撃と云う訳だ。
『おー、悪かったなぁ。俺はお前らみたいなヒマ人と違って、社会人様だからなぁ。しかも正社員だ、正社員! 要するにだ、こんなゲームに没頭してる余裕ない訳。息抜き程度にやってるゲームの中で、必死こいて……こっちからお断りだ、あばよ!』
タイプし終わると、エンターキーを押してそれをパーティー全員に送信し、直後に詳細メニューを展開してメンバーの削除を実施し、ログアウトした。つまり、自分の言いたい事だけを目一杯吐き出して、それに対する文句は聞かない姿勢である。
(冗談じゃねぇ、あんなカス共に上から目線浴びせられるなんざ、在り得ねぇだろ!)
ふん、と鼻を鳴らし、パソコン自体もシャットダウンさせる。時刻は23時、翌朝6時に起床し、且つ充分な睡眠時間を確保するにはギリギリのタイミングである。
彼は毎日、21時過ぎに帰宅する。それから夕食を摂り、入浴してひと段落して、パソコンの電源を立ち上げるのは22時になろうかと云う頃。つまり、最大でも1時間しかゲームに参加しないのである。
休日までゲームに没頭するほどのヘビーユーザーでも無い為、いつもチョコっと参戦するだけで終わってしまうので、レベルアップにも他のユーザーの数倍近い日数を要していた。
(あーあ、憂さ晴らしの為にやってるゲームでストレス溜めてちゃ、話にならないでしょ……寝よ寝よ! 明日も早いよーっと)
……飽くまで、他ユーザーの忠言を聞こうという姿勢は取らない。何故なら彼は『自分は間違っていない』と常に自己擁護をする事で、ダークサイド墜ちを抑止していたからだ。即ち、他者の言い分を聞けばそれだけで傷付いてしまう、豆腐メンタルの持ち主であると云う事なのだが、彼がそれを自覚できよう筈は全く無かったのである。
***
翌日、21時を少し過ぎた頃。やや旧式化したアパートの外階段を登る足音があった。雄二のご帰還である。
(チっ、あの『バ』課長め! 口先だけで仕事が出来るなら、誰だってプロフェッショナルなんだよ! 何でぇ、大した業績もねぇ癖しやがって!)
腹の中でブツブツと上司……なかんずく、課長に不満を並べ立てながら、不機嫌そうな表情を隠そうともせずに自室のドアを潜る。手にはコンビニ弁当と缶酎ハイが入ったビニール袋が提げられていた。
雄二の所属は営業課。口下手・小心者にはまず務まらない部署である。増して彼は今年度入社の新人、説教を喰らうのも仕事のうちなのだ。なのに叱責された事に腹を立て、不機嫌そうに帰宅する。これがほぼ毎日続くのだから、彼の成長を願って苦言を呈している上司としては堪ったものでは無いだろう。無論、彼の腹の内を知れば、の話ではあるが。
20分程度で入浴を済ませ、弁当を腹に詰めながらテレビでニュースに目を通す。だが、内容など殆ど記憶に残らない。ただ流し見しているだけである。
そして冷蔵庫で冷やしておいた酎ハイを取り出し、おかずの中に入っていた唐揚げをつまみにして飲みに掛かる。普通なら、まずアルコール類で喉を潤し、ほろ酔いになったところでつまみに手を出したり食事をしたりするのが相場なのだが、雄二は逆であった。理由は簡単、空腹時にいきなりアルコールを飲むと即座に酔いが回ってしまい、食事が出来なくなるからだった。
(んー……昨日の今日だし、あまり気乗りはしないが……よし、モンスター狩りでもして憂さ晴らしをしよう!)
……等と威勢の良い感じではあるが、その実は確実に倒せる格下のモンスターを苛めてストレスを解消しようとしているだけである。難所に突入したり、ボスキャラに挑戦したりと云った挑戦的な行動はまずしない。彼の常道である。要は、傷付くのが嫌なのだ。
ログイン画面を過ぎ、フィールドマップに出る。前回終了時の位置情報が記録されている為、昨夜パーティーと別れたままの場所からのスタートとなる。が、彼らの姿は既に無い。先のステージへと進んだのであろう。
(泉の畔が良いな。あそこなら水際で……ん? 何だアイツ?)
難所へ向かうのとは逆の進路を辿り、レベルの低いエリアへと戻って行った雄二扮するウィザードは、大きな泉のある密林の中で、雑魚モンスターに取り囲まれて右往左往している戦士を見掛けた。それはキャラの造形と装備から、女性と思われた。
(何やってんだ、ありゃあ……仕方ない、助けてやるか)
複数の敵に有効な攻撃魔法を一撃。すると雑魚モンスターは一気に消滅し、跡には女戦士だけが呆然と立っている。
『大丈夫か?』
『助かりました、攻撃は通用しないし回避も出来ないしで、もうゲームオーバーを覚悟していたんです』
見ると、その女戦士はレベル1で、装備も初期状態のままだった。雄二はそこに違和感を覚え、思わず問い質していた。
『アンタ、その装備とレベルで良く此処まで来れたな? 途中にダンジョンがあるから、レベル10はないと来れない筈だけど』
『とにかく夢中で、逃げ回りながら歩いて来たら此処に居たんです』
その通信ウィンドウを読んで、雄二は『はぁ!?』と素っ頓狂な声を上げた。然もありなん、闇雲に『逃げ回った』だけで、此処まで到達できる等、どんだけラッキーなんだよ……と思わざるを得ない状況だったのだ。
しかし、その言が本当ならば、かなりの反射神経と回避能力があると思われた為か、雄二は一計を講じた。
『なぁ、そのレベルと装備じゃいつか嬲り殺しにされるぜ。此処は一つ、俺と組まないか?』
『いいんですか!? 有難うございます! 独りで不安だったんです』
しめしめ、と思いつつ雄二は女戦士をパーティーに加え、行動を共にする事にした。パーティーの中に逃げ足の速いキャラが居れば、相乗効果で自分も回避率が上がるので、彼にとっては願ったり叶ったりであった。
こうして雄二は、先輩風を吹かせながらフィールドを闊歩し、優越感に浸っていた。
***
『危ない! ……ギリギリでしたね。ハーピーは死角を衝いて攻撃してきますから、気を付けないと』
『……アンタ、上手くなったな。レベルの上がり方も早いし、昼間もやってんの?』
『ええ、空き時間などに少しずつ』
何だ、コイツも昼間に時間の取れるヒマ人かよ……と、雄二は軽く舌打ちをした。
俺は寝る前の数十分しかログインしていられないからレベルアップも遅いが、そういう事なら上達も早くて当たり前じゃないか……と。
そして、徐々に女戦士は雄二のレベルに近付き、肩を並べ、やがて追い抜いて行った。こうなると、必然的にリーダーシップも奪われ、立場は逆転して来る。無論、雄二としては面白くない展開だ。
(いいよねぇ、沢山プレイできる人は。こっちは昼間、汗水流して働いてんだ。アンタみたいなヒマ人とは違うんだよ!)
そう思い始めると、もう相手を見る目も、態度も変わって来てしまう。そんな雄二の変化を、女戦士のプレイヤーは察知したのか、気を遣うような口調が多発するようになった。だが、それも憐れみを掛けられているようで、雄二としては面白くない。
『アンタ上手いから、俺の手助けなんかもう要らないよね』
『そんな、折角知り合えたんじゃないですか』
『関係ないよ、所詮はオンラインの向こうから相手を見ているだけ。互いの事情なんか分かるもんか』
『なら、会ってみませんか? 土日でしたらお時間取れますよね?』
意外な展開になって来たな……と、雄二は一瞬たじろいだ。が、気分転換としては悪い提案では無さそうだ。
『時間は取れるけど、場所どうすんだ? 俺は○○県住みだけど、アンタは?』
『あ、私も同じです。なら、××駅の前で待ち合わせ、ってどうですか?』
そこまで言われて断ったのでは、恰好が付かない。仕方ない、受けてやろうと思った雄二は、その提案を承諾した。
(ふん、どうせ学生かフリーターだろ。軽くあしらって終わりだ、暇つぶしには丁度いいや)
と、軽い気持ちで約束を取り付けてしまったのだった。そして、数週間が経過した。
土曜の昼間、駅前は人でごった返している。平日であれば閑散としている時間帯だが、休日となれば事情は変わってくる。
(ま、土曜だしな。このぐらいの人出は当たり前だろうね)
ラッシュ時の凄まじさを思い浮かべ、雄二は思わず失笑する。ヒマ人が多いんだなぁ、と。
(たまには、ヒマ人どもに迎合するのも良いだろう。張り詰めっ放しじゃ疲れちまうしな)
そんな事を考えながら、キョロキョロと周囲を見回す。雄二は相手の顔を知らない為、目印となるよう当日の服装を確認しておいたのだ。尤も、それは相手側も同じだったのだが。
(えーと、黒のワンピに茶色のショルダーバッグか。シンプルなのが好みか? ま、俺も似たようなものだが)
雄二は、ストレートジーンズに黒のシャツ、薄茶のジャケットというスタイルだった。
と、そのような服装の通行人は山ほど居るのだが、互いにその服装を見て表情を変えるなら、ほぼその相手と見て間違い無いだろう。雄二はそれらしい女性を見付け、声を掛けてみた。
「えーと、『女戦士』さん?」
「あ、『ウィザード』さんですね?」
「……あれ? 変だな、初めて会った気がしないんだけど……」
その事は、相手の女性も薄々感じていたようだ。しかし、その仮定を確認するには、人だかりの中では都合が悪い。
先ず、先鞭を切ったのは意外にも、女性の方だった。
「立ち話も何ですし、何処かへ入りませんか?」
「賛成。この人混みと騒々しさは好きじゃない。ファミレスで良いかな?」
女性は笑顔で快諾してくれた。
見た感じ、女性の方が雄二よりも年上のようで、これは雄二としては意外であった。が、彼のスタンスは変わらない。
待ち合わせの場所から4〜5分と云った距離であろうか。世間話をしながら歩いていると、リーズナブル且つ味もまあまあと定評のある、有名チェーンのファミレスに到着した。
ランチタイムを少し外したのが幸いしたか、二人は直ぐ窓側の席に通され、そこに腰を落ち着けた。
「こうしてお話をするのに、ゲーム中のキャラ名でお呼びしては悪目立ちしてしまいますよね。私、山下明日美と申します」
「あ、俺は松田雄二……って、やっぱ何処かで会ってない? その名前にも聞き覚えがあるんだけど」
「……間違っていたら、申し訳ないですが……高校生の頃、足の骨折で入院されたご経験がおありでは?」
「な、何でそれを……ん? 山下……あ、あああぁぁぁぁぁ!!」
雄二は、そこが店内である事を一瞬忘れ、大声をあげてしまった。周囲の客や店員たちが、一斉に注目する。それに気付いた明日美が慌てて彼を取り成し、我に返った雄二も『何でもないッス』と言いながら頭を下げ、再び着席した。
「み、見覚えがある筈だ……貴女、あの時の看護師さんじゃないですか!」
「やっぱり、松田さんでしたか。一目見た時に、あっと思ったんです」
雄二はすっかり委縮してしまった。何しろ相手は、自分が身動きの取れない状態になった時、散々世話を焼いてくれたナースだったのだ。なのに彼は、その彼女に対して横柄な態度を取り続けてしまっていたのだ。これで気まずくならぬ程、彼とて傲慢ではない。
「お、俺……知らなかったから……ゴメンなさい! 散々偉そうに……」
「良いんですよ、モニター越しに相手の顔は見えないのですし、本名も名乗ってはいないのですから」
明日実はニッコリと笑みを浮かべ、雄二を赦免した。と云うより、最初から腹を立てている様子は無かったのだが。
「立派になられましたね。お仕事、大変なようですね」
「そ、そりゃ……楽ではないです。しかし、貴女ほど大変じゃないです! ……って事は、合間を見て、ってのは……」
明日美の回答は、雄二が想像した通りのものだった。彼女は夜勤明けや、少ない休日などに時間を割いて、オンラインしては一人でレベルアップに励んでいたのだ。それも、恐るべき集中力で。
「松田さん、相変わらずですね。生真面目で、本業の方を大事になさって。入院中もそうでしたね、片時も教科書を手放さずに猛勉強を続けられて……」
「止してください! 俺、貴女に言われると……立場無くて……」
もはや、立場は完全に逆転していた。尤も、明日美の方には雄二を責めるつもりなど毛頭ないのだが、雄二の方がその状況を許せなかったのだろう。彼はすっかり態度を改め、口調も変わっていた。
「俺、恥ずかしいっス。少しばかりイライラしていたからって、他者に当たり散らして……あれじゃ友達出来なくて、当たり前ですよね」
「それだけ、お仕事に対して真剣でいらっしゃるという証拠ですよ。自信を持って、そんなに自分を責めないで。ね?」
実に眩しい笑顔だった。
彼女は普段から激務に耐え、僅かな余暇を使って自分のアドバイスを聞き、効率的にゲームのコツを掴んでレベルアップしていたのに、俺はどうだ……そう考えると、雄二は自分が如何に矮小な人間であるかを、嫌でも認識せざるを得なかった。
しかし、すっかり言葉を失い、項垂れるだけの雄二に、明日美は優しく声を掛けた。
「また、ご一緒して頂けます? あのダンジョン、一人では攻略できないでしょうから」
敢えてリアル事情から的を外した明日美の気遣いに、雄二は救われる形となった。
そして彼は、此処で落ち込んだままでは、折角自分を立ててくれている彼女に申し訳が無い! と思ったのだろう。
「お、俺で良ければ! あのダンジョンのボスはですね……」
雄二は、自分を卑下するのを止め、明日美の誘いに笑顔で応えた。
***
『さ、この先は中ボスクラスがウジャウジャ居るよ。油断しないでね!』
『大丈夫、露払いは任せてください。MPは大事に、可能な限り実体武器で対応を!』
数か月後。
仲良く肩を並べ、難関ステージに臨む二人の姿があった。
無論、オフィシャルな立場を軽んじて、ゲームに没頭しているのではない。
雄二は雄二で、その変貌した性格を武器にして、業績を確実に向上させながら。
明日美は明日美で、毎日の業務を確実にこなしながら。
出来る事を、目一杯に頑張って、そこに立っているのだった。
ネタは仕込んであったけど、なかなか書けなかった一作。
こういう奴、リアル社会でも良く見掛けますよね。頑張ってるつもりで、実は頑張れてない感じの。
でも、こういう奴を突き放してしまうと、腐って社会のゴミになるだけなんです。
何とかとハサミは使いよう……貴方の身近にいるこんな奴も、案外化けるかも知れませんよ?
(2016年4月21日)