創作同人サークル『Fal-staff』

『真のヒロインは』

「メイス様、メイヤー……今までお世話になりました」
「新しい人生、存分に謳歌したまえ」
 一人の少女が新しい主となる男と一緒に、少女館を去って行った。そんな様子を、彼女はエントランスの上から眺めていた。ストレートのロングヘアをたなびかせ、切れ長の目を半開きにしながら、彼女は今まさに扉の外へ出ようとしている少女の後姿を気だるそうに見送っていた。
「……これで、同じ頃に入ってきた奴は誰も居なくなったか……すっかり売れ残りって訳だねぇ、アタシは」
「貴女にだって、何度かお話が来たじゃないですか」
 呆れ乍ら応えるメイド、然もありなん。買い手が付きそうになるたびに不機嫌そうな態度を露にし、相手の気を損ねているのだから、毎度の如く売れ残ったとしても不思議ではない。尤も、それは少女――セリア自身が『買い手を選んでいる』為にやっている事なので、当然なのだが。
「こっちにだって、選ぶ権利ってもんがあるわ。気乗りしない話にホイホイついていくほど、アタシは馬鹿じゃないさ……ハァ、気が抜けちまった。キャンディス、お茶付き合ってよ」
「お付き合いするのはいいのですが……私にも仕事が」
「アタシに付き合うのがアンタの仕事だろ? つべこべ言わずに用意しな。あ、アッサムでお願い」
「……はい」
 わざと売れ残っているのは自分の勝手でしょう……という台詞を胸に仕舞い、セリア専属のメイドであるキャンディスは、茶の支度を整えるために厨房へと向かった。
「あら、アッサムの葉は……?」
「アッサム? あぁ、ごめんごめん。こっちで使ってたんだ。ひょっとして、セリアちゃんのお使い?」
「そうなんです、良くお分かりですね?」
「このお屋敷でアッサムを好むのは、セリアちゃんと、俺だけだからね」
 年の頃は20代後半といったところか。やや幼さを残す顔立ちに、似合わぬ口髭を生やした調理服姿の男が、茶葉の入った缶を持ってキャンディスに近付いて来た。彼は、名をダニエルと云った。
「ダニーさん、セリアとの付き合い、長いんですよね?」
「そりゃあ、あの子がこんなちっちゃな頃から知ってるからねぇ」
 昔を思い出し、ダニエルは思わず目を細めた。彼とセリアは、この少女館に来る以前からの知己なのだった。
「ホラ、早くいきな。セリアちゃん、待たされんの嫌いだからさ」
「クス……そうします。ダニーさん、また彼女の好み、教えてくださいね?」
「おうよ! ……ただし、内緒でな?」
「勿論!」
 悪戯っぽく笑みを交わすと、キャンディスはティーポットと茶葉を持って、厨房を出た。

********

「あーあ、つまらなそうな男だったなぁ。何でアタシのトコには、あんなのしか集まって来ないのかねぇ」
「また、破談になったんですか?」
「人聞きの悪い事を言うんじゃないよ、アタシの方で客を選んでるんだから」
 今日もセリアは商談に失敗し、残留が決定していた。そんな彼女を、相変わらず……といった顔で見ながら、キャンディスは苦笑いを浮かべていた。
「キャンディス、あんた幾つだっけ?」
「何です? 藪から棒に。今年21になりましたが、それが何か?」
「ふぅん、アタシより年上なんだな。そうは見えないけどな」
「童顔だって、普段から言われてますからね……それよりセリアも、もうすぐ誕生日でしょう? お祝いをしなくちゃですね」
 キャンディスはベッドメイキングをしながら、セリアはボーっとした感じで天井を仰ぎながら、対話をしていた。これもまた、彼女達にとっては、ありふれた日常のひとコマだった。
「いいよ、祝いなんて。それより、16かぁ……嫁にいける年齢になっちまうんだなぁ」
「お嫁に行くには、まず相手を探す必要があるんですよ?」
「あー……そうだったな。で、キャンディス。そういうアンタには、当てはあるわけ?」
「まさか……私みたいな地味な女、こっちから頼まなければ殿方は振り向いてくれません……よ、っと!」
「ふぅん……あー、だりぃ。嫁、かぁ……誰か、アタシを掻っ攫っていってくれないかなぁ」
 その会話の内容に意味など無かった。彼女たちは時として、スーッとその時が通り過ぎれば忘れてしまうような、そんなノリで話をする事が多かった。今の会話も、ベッドメイキングが終わる頃には忘却の彼方。だが、二人はそんな日常が好きだった。
 ……と、その時。部屋のドアをノックする音が聞こえた。それに応じてキャンディスが出ていくと、そこにはメイヤーが立っていた。
「セリア、また君は商談を台無しにしたね。一体どういうつもりなんだい?」
「アタシは、自分で納得できる人生を送りたいだけ。そのために抵抗するのが、そんなにいけない事なのかしら」
「君の行動は、この少女館の信頼を貶めている。今日はそれを言いに来た」
 メイヤーの説教を聞いて、もうウンザリ……といった表情で、セリアは顔を背けた。元々彼女たちは、自分の意志で少女館に集まってきた訳ではない。よって、商品である彼女達にも納得のいかない商談は断る権利が備わっている。が、顧客の目の前であからさまに嫌そうな態度を取り、自ら品位を低く見せるという、彼女のやり方には些か問題があるのだ。
「……何が気に入らないんだい?」
「別に? ただ、アタシはもっとワイルドで若い男が好みなんだ。そのぐらい、選ぶ権利はあるだろ」
「セリア、『少女館』は結婚相談所ではない。お婿さん探しは新たなご主人の元でやっても差し支えは無いんだよ?」
「ここの売りは、買い手が上流の人間だってだけで、結局その後は召使いか、性の玩具か……そんなもんだ。たまに縁談が決まる事もあるが、ごく稀だ。なら、人身売買と大差ないだろ。ま、あんたらみたいな特例もあるけどね」
「セリア……」
 こめかみを押さえながら、メイヤーは頭を左右に振った。そんな彼を見て、助手のラティーシャはオロオロとしていた。セリアは、そんな二人を交互に見比べながら、一人結論付けるように言い放った。
「だったら、せめて相手の年齢やルックスぐらいは、選ばせてもらってもいいじゃないか」
「……ラティーシャ、今の議事録は取らなくていい。こんな事、メイス様には報告できない」
 傍らで会話を記録していたラティーシャは困惑した。双方の言い分が理解できるからである。が、この場合はメイヤーに従うしかない。彼女は書いていた議事録のページを破り、屑篭に放った。
「セリア、君の理想を叶えることはかなり難しい。この少女館には色々な顧客がやって来るが、君の希望するようなタイプの顧客はなかなか現れないんだ。なぜなら、君たちにはかなりの価格が付いている。君も言った通り、上流の……富裕層のお客様が多いんだ。君の希望するようなタイプの男性は、こう言っては何だが、粗暴で裕福とは言いがたい層の人が多い」
「いいよ、アタシは待ち続けるからさ。確かここには、何歳になったら商品価値がなくなる……といった規則は無い筈だよね?」
「……今日の件は、顧客の意図にそぐわなかった……メイス様にはそう報告しておく。が、セリア。いつまでもその考えが通るとは思わないでくれ。こちらにも都合はあるのだからね」
「ハイハイ」
 セリアの口から発せられたやる気のなさそうな返答に呆れながら、メイヤーは退出していった。彼の助手であるラティーシャも、遅れまいとして後を追った。その姿を見ながら、キャンディスは溜息を吐いた。
「セリア、本当に売れ残るつもりなのですか?」
「言っただろう? アタシは理想的な出会いを待っているだけなんだよ」
「ワイルドで若い男性が……顧客として現れる機会が、どれ程あるとお思いですか?」
「さあね」
 お気楽過ぎる……と思ったキャンディスであったが、考えてみればセリアはまだ15歳。少女の域を出ない、これから人生の本番を迎える年齢である。焦ることは無いと思い直し、彼女は清掃道具を片付けるために退室した。

********

 セリアは、少女館に来る前は、場末のバーのホステスとして働く母親との二人暮らしであった。貧しくも、懸命に生活を支える母の姿は、今も彼女の記憶にしっかりと残っていた。父親の顔は知らなかった。生まれた時からずっと母と二人きりだったからだ。そして、その店を経営し、調理師兼バーテンダーを務めていたのが、ダニエルだった。
 彼女は要領が良く、頭の良い子だった。飲んだ酒の量を誤魔化す客に、数え間違えてるよ? と笑顔で訂正を入れるのはいつも彼女の役回りだった。それをダニエルがやれば喧嘩になるところだが、彼女に指摘されたのでは笑うしかない。そうやって、店のトラブルを未然に防ぎながら、彼女は『オトナの世界』というものを、幼いうちから体験してきたのだ。
 母が病に倒れ、そのまま還らぬ人になったのは今から5年ほど前。孤児となった彼女を迎えたのは、スラムの冷たい風だった。守ってくれる者も、寒さを凌ぐ家も無かった。ダニエルが面倒を見ると申し出たのだが、彼一人でも苦しい生活だと分かっていたからか、自ら身を引いたのだった。そして彼女は、必死に身を守りながら、大人でも滅多に体験する事のない人生の裏道を、ひたすら歩んで生きてきた。
 無論、セリアの身体を目当てに、襲い掛かる男も少なくは無かった。が、彼女は逃げ延びた。母が最後に遺した、一丁の拳銃を常に携えていたからだ。発砲せずとも、銃身をチラつかせれば、男は腰砕けになって逃げていった。彼女はその銃を使って、強盗を企てようとは思わなかった。スラムに生きる者は皆、懸命に自らの糧を得て生きているんだという事を分かっていたから。それを強奪する事は、最大のタブーだという事を知っていたから。そんな事を教えてくれたのも……他ならぬ、亡き母だった。
「ママ……ママ!?」
 セリアは自らの寝言に驚いて、目を覚ました。彼女の身体は寝汗でベタベタだった。
「また、ママの夢か……もう5年も経つのに、情けないったら……」
 14歳になった彼女は、母親の働いていたバーに舞い戻り、ホステス見習いとして働き、生計を立てていた。が、母親の居たころと違い、客も入らず、店が潰れるのも時間の問題という感じであった。そこに現れたのが、メイヤーであった。
「あの男、偶然店に来たにしては、用意が良かったよな……アタシの事も知ってた感じだったし」
 汗で濡れたネグリジェを脱ぎ捨て、洗濯籠に放り込みながら、彼女はメイヤーに拾われた日の事を回想していた。メイヤーは、カウンターで暇を持て余しながら燻っていたセリアの横にそっと座ると、前置き無しで、いきなり商談に入ったのだった。が、彼女は、恩義のあるこの店を放って自分だけが貧困から脱出する訳には行かないと、一度は申し出を断った。しかし次の日、メイヤーはダニエルも一緒に面倒を見るからと、改めて商談を持ち掛けて来たのだ。こうなれば、彼女にとっては断る理由も無い。その日を最後に二人は店を畳み、ダニエルは厨房へ、セリアは磨き上げられて商品として、それぞれに少女館に迎え入れられたのである。
「……今夜は月が細いな。こんな日は、外に出るのは危ないんだよね」
 そんな独り言を言いながら、新しいショーツとネグリジェをベッド上に並べ、いざショーツを脱ごうとした、その時……
「……!?」
 突然、バルコニーにサッと人影が舞い降りて来た。カーテン越しにであったが、それが長身の男性の物だという事は分かった。そして、その人影は窓をガラス切りで切断し、鍵を外して、屋内に侵入してきた。セリアはベッドの影に身を隠し、母の形見の拳銃を構えて、男が屋内に入りきるのを待った。
「動くな! 動けば撃つ!!」
「……!!」
 無人と思って油断していたのか、男は無防備だった。そこに、発砲宣言をされたのだから堪らない。背を向けたまま、彼は両手を上げ、抵抗の意思が無い事を示した。
「よーし、ゆっくりとこっちを向くんだ」
「……!!」
 男は渋々とセリアの方に振り向き、ゆっくりと目線を上げた。が、何故か彼は慌てて顔を背け、回れ右をしてしまった。
「どうした!? 言う通りにしないと……」
「い、言う通りにして……ホントにいいのか?」
「え? どういう意味……」
 と、そこまで言って、セリアは漸く、自分が今どういう格好だったのかを思い出したのだった。そう、彼女は着替えの途中……身に付けているものはショーツ一枚のみ。これの意味するところは、ただ一つである。
「み、見たのか!?」
「見えたから、また後ろ向いたんだろ! こ、このままジッとしてるから、早く何か着てくれよ!」
「……ッ!」
 小声で、それでいて鋭いやり取りが展開された。大声を出せば周囲に感づかれるからである。このようなパニック状態の中で、悲鳴を上げなかったセリアは流石と言えた。が……
「セリア? 声が聞こえたので来てみたんですけど……どうしたんですか?」
「あ、あぁ、キャンディスか? なんでもない、ちょっと悪い夢を見てな……着替えの途中だから、開けないでくれるか?」
「あら、それは失礼……じゃ、洗い物は籠に入れて置いてくださいね。では、おやすみなさい」
 ふぅっ、と二人は胸を撫で下ろした。セリアはショーツを替え、ネグリジェを着なおして、更にカーディガンを羽織って体裁を整え、改めて男にこちらを向くよう命じた。
「……とんだ所に忍び込んじまったようだな。まさか銃で武装しているとはね」
「それより、レディの寝室に忍び込んだ罪悪感は無いのかしら?」
「ハッ! いきなり人に銃を向けるレディが何処に……」
 と、そこまで言ったところで、男の台詞は途切れた。セリアが銃の台尻で、彼の後頭部を殴打した為である。
「……何故、庇った? 突き出すことも出来ただろうに」
「知らないよ、咄嗟の事で……い、痛かったか?」
「別に、これ位……どうってこと無い」
 男は手を挙げた格好のまま、小声でやり取りを続けた。そして、セリアはサッと軽いボディチェックを行い、彼の携行品が護身用のナイフ一本と、先程のガラス切りだけである事を突き止めると、それを取り上げ、彼の拘束を解いた。
「……もっと近くに来い。距離があると、どうしても声が大きくなる」
「いいのかい? このままアンタを押し倒す事だって……出来ないね、うん。わかってるよ」
 薄ら笑いを浮かべたまま、セリアは銃をチラつかせた。無論、彼女は発砲しようだなどとは考えていない。相手の心理を巧みに利用して、護身しているだけなのだ。
「物盗り?」
「あぁ、そうだ」
「ま……ここら一帯じゃ、忍び込んでお宝が出てきそうなのは、この屋敷ぐらいなもんだろうからな。いい狙いだよ」
 冷静を装いながら、彼が忍び込んだのが自分の部屋で本当に良かったと、セリアは内心で思っていた。なにしろ、この屋敷の住人の8割は女性、しかもみんな無防備。仮に自分以外の部屋が狙われたら、その部屋の者が人質に取られ、金品の強奪と彼の逃亡は容易に成功していたであろう。
「朝になったら、突き出すのか?」
「……と、当然だろ」
 取り敢えずと云った感じでそう答えたものの、セリアは本当にそうするべきか、迷っていた。時刻は午前2時を過ぎたあたり。日が昇るまでにはまだ少し間があるし、何より眠い。臨戦態勢で降りて来た男を同じ部屋に放置するのは流石に躊躇われたが、睡魔には勝てない。そこで彼女は、打開策として一つ提案した。
「この屋敷、薄着でいても寒くは無い筈だよね……逃げられちゃ困るから、パンツ一枚になってくれない?」
「いぃ!?」
「で、脱いだものを、アタシが抱えて眠るって訳。コレなら逃げられないでしょ?」
「……本気?」
「勿論。パンツ一枚が嫌なら、アタシのネグリジェを貸してもいいけど」
「……パンツ一丁でいい」
 完全に脱力した男が、着衣を取ってセリアに渡した。と言っても、夜間迷彩の黒い繋ぎ一枚だけしか着けていなかったので、それを取ったらパンツ一枚の情けない姿を晒すだけだった。
「……アタシも見られたんだから、お互い様だよね」
「あんな貧相な胸、見たうちに……わ、悪かった、失言だった!!」
 ともあれ、彼はパンツ一枚に剥かれ、脱出する手段を全て奪われて、ソファの裏に身を隠す格好で横になり、朝を待つことになった。一方、セリアは……緊張はして居たが、やはり15の子供。睡魔には勝てず、そのまま寝息を立てていた。
「ハァ……初めて泥棒に入った屋敷で、このザマとはな。やっぱ俺、盗っ人には向いてなかったのかも知れないなぁ」
 彼は、眠っているセリアの腕から着衣を奪い、それを着て脱出する事も勿論考えた。しかし、それは不可能だった。何故なら、セリアがネグリジェの内側に彼の着衣を仕舞い込んだ格好で眠っていたからだ。これでは手も足も出ない。
「商売道具は取り上げられてるし、こんな娘を裸に剥く趣味も……仕方ねぇ、このまま大人しくお縄に付くとするか」
 盗みまで働こうとした男にしては妙に潔い決断であったが、それには訳があった。ともあれ、気が付けばドタバタとした夜は更けて、朝日が昇る時間になっていた。

********

「……と。ちょっと。起きなよ。早く起きないと見付かっちゃうよ?」
「う、うーん……あ? あぁ、もう夜明けか。つい、ウトウトしちまったな」
「何で逃げなかったの? アタシの腕から服とナイフを抜き取るぐらい、簡単だったでしょ?」
「あいにく俺には、レディを裸に剥くような趣味は無いんでね。それに、もう袋のネズミ同然……諦めはついている」
 男はパンツ一丁のままで胡坐をかき、両手を挙げて降参のポーズを取っていた。
「そういうアンタも、詰めが甘いって言うか。こういうシチュの時は、両腕ぐらい拘束するのがセオリーだろ。何でそうしなかった?」
「……逃げたいなら、逃げれば良かったんだよ。別にアンタを捕まえたって、何の得にもならないんだから」
 不思議な奴だ……と思いながら、二人は互いの姿を眺めていた。そうするうちに、セリアの方がある事に気付き、赤面しながら顔を背け、男に衣服を返した。
「……逃げる気が無いなら、そんな格好にしておく必要は無いからね。ホラ、早く着なさいよ!」
「ん? あぁ、何だ。男の裸は見慣れてないのか……顔が赤いぜ?」
「うるさいっ!」
 笑いながら、男は黒い繋ぎ服を纏った。しかし、全身真っ黒の姿は、まさに夜明けのカラス状態で間抜けであった。
「その、黒一色の格好……昼間だと却って目立つね」
「しょうがないだろ、夜中のうちに事を済ませる手はずだったんだから。逃走用の服まで用意しちゃいないしな」
「つくづく間抜けねー、アンタ」
「アンタじゃない、バーナードって名前がある」
 ここで、男は自ら名を名乗った。それに対し、セリアはつい反射的に、自分からも名乗ろうとした。
「あら、これは失礼。バーナードさんね。アタシは……」
「セリアさん、だろう?」
「え? どうしてアタシの名を……?」
「夕べ、ドアの外まで来たキャンディスって子が、アンタの名を呼んだだろ。それで覚えたよ」
「あ、あのやり取りだけで!?」
「充分だよ。それより……」
 と、バーナードが言いかけたとき、ノックの音と共に、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「おはようございます、セリア」
(ま……まずい! と、とりあえず……)
 咄嗟に、セリアはバーナードの手を引いて、クローゼットの中に隠れるよう誘導した。そのリアクションの意味が分からず、バーナードは困惑した。が、彼女は至って真剣な表情だった。
「ふあぁ……おはようキャンディス。夕べはごめんね、起こしちゃったみたいで」
「いいんですよ。でも、らしくないですね?」
「……たまにね、昔の事を思い出して、夢に見るんだ。あまり良い思い出じゃないんだけどね」
「そうですか……あ、朝食の支度が整っていますので、ダイニングへどうぞ」
「ありがとう、着替えたらすぐ行くよ」
 程なくして、洗濯籠を持ってキャンディスが退出していくのを確認すると、セリアはバーナードをクローゼットから引っ張り出した。
「昨夜もそうだったが……何故、庇ったんだ?」
「わかんないよ……気が付いたら、アンタを隠してたんだ。ホント、どうしちゃったんだろう?」
「……まぁいい、早く行けよ。モタモタしてると、怪しまれるぞ?」
「そうね。で、あの……ちょっとの間、あっち向いててくれると嬉しいんだけど」
「どうせ、夕べ全部見て……分かった、わーかった!! 言う通りにするから、銃は下げてくれ!!」
 うっかりジョークも言えないのか……と、顔を蒼くするバーナードに対して、セリアは耳まで真っ赤にして狼狽していた。夕べの失態は、彼女にとってはかなり重大な事だったらしい。まぁ、事故とはいえ、16になろうかという年齢の乙女がショーツ一枚の恥ずかしい姿を見知らぬ男に見られたのだから、無理からぬ事ではあったのだが。
 程なくして、セリアは着替えを済ませ、平静を装って朝食を摂りにダイニングへと姿を消した。そして、ポツンと一人、部屋に残された夜明けのカラス……もとい、バーナードは、無造作に放置されていた彼女の拳銃や、自らが携えていたナイフをぼんやりと眺めながら、このままこれらの武器を奪い、脱出する事は簡単なんだけどな……と考えていた。だが、何故か彼は、そうする気にならなかった。
(あの娘、何で俺を庇ったんだろう……?)
 それは、彼がこの部屋に忍び込んで、セリアに捕まった時からずっと考えている事であった。普通の女の子なら、窓から賊の侵入を許した時点で、悲鳴を上げて助けを呼ぶだろう。しかし彼女はそれをせず、つい先刻も賊である自分を庇った。彼はその行動の意味が分からず、非常に困惑していた。そしてその頃、セリアも全く同じ事を考えていた。
(どうしてあの時、あの男を突き出さなかったんだろう……って言うか、この後どうすれば……)
 とにかく、匿ってしまった事実はもう覆らない。だとしたら、一人で隠し通して窮地に立つより、協力者を得て打開策を用意する方が良いだろう。そう考えたセリアは、思い切ってキャンディスに打ち明ける事にした。そして食事のあと、部屋に戻った彼女からその考えを聞いたバーナードは、あんぐりと口をあけたままの格好で固まってしまった。
「……どうして、そういう結論になったんだ?」
「だから、わかんないんだってば……とにかく、もうすぐメイドのキャンディスが掃除をしに来る。最初は隠れてて。いい?」
「あぁ、いいけどさ……なぁ、何度も言うようだけど。何で俺を突き出さないんだ?」
「わかんないって言ってるでしょ!! それに今更、もう遅いってのよ! 一晩匿っちゃった事実は、もうひっくり返らないの!」
 語気は荒いが、怒っている風でもない。不思議な口調だった。しかし、声を発している本人にすら、その思考に至った理由は分からなかった。と、そうこうしているうちに、キャンディスがやって来た。
「セリア、掃除の時間ですが……入っていいですか?」
(来た!)
(あ、あぁ……)
 ノックと共に、キャンディスの声が聞こえた。それと同時に、バーナードは手はず通りにカーテンの陰に姿を隠した。
「いいよー」
 いつもと同じ、軽いノリで、セリアはキャンディスを招き入れた。しかし、内心はドキドキだった。
「……どうしたんです? 何だか顔が赤いようですけど」
「あ、あのねキャンディス? そのぉ……ビックリしないで欲しいんだけど……」
「……な、何です? あ、さては……拾ったネコをここに匿ってるんじゃないでしょうね?」
「惜しい! いい線行ってるよ……ホラ、出といで!」
 そう言われて、渋々とカーテンの陰からバーナードが姿を現した。その顔は、実に面白くなさそうだった。
「……やれやれ、野良猫と同じ扱いかよ」
「……!!」
 キャンディスは予想通りのリアクションで、口をパクパクさせたままの格好で硬直した。だが、その直後の行動は抑えなければならない。申し合わせた通りに、悲鳴を上げる直前だった彼女の口を、素早く背後に回り込んだバーナードが左手で塞いだ。そして残る右腕で、華奢な体をがっしりとホールドすると、案の定というか……彼女は涙目になって、ジタバタと暴れ始めた。
「むーっ、むーーっ!」
「なぁ、俺メッチャ悪い事をしてるみたいなんだけど」
「そりゃー、まぁ……ってキャンディス、ゴメン! お願いだから大声を出さないで、これには訳があるんだ!」
 そうして暫く涙目でジタバタと暴れていたキャンディスだったが、両手を合わせて必死に『ゴメン!』を繰り返すセリアの姿を見て、漸く大人しくなった。
「ひっく……ひっく……ちゃ、ちゃんと……説明してくださるんでしょうね?」
「勿論だ、だからこうして……いつまで抱えてんだよ、このスケベ!!」
「あ、あぁ……も、もう離してもいいのか?」
「……大丈夫です。逃げたり、叫んだりはしません……説明さえしてくだされば」
 その一言を聞いて安心したバーナードは、右腕で抱え込んでいたキャンディスの身体を開放した。彼女は、深呼吸を数回した後に、黒尽くめの男と、珍しく小さくなっているセリアを正面に回して説明を待った。そして、事のあらましを全て聞いた後、暫くぽかーんとしていたが……やがて呆れたように脱力し、漸く最初の一言を発する事に成功した。
「野良猫の方が、まだ始末が良かったですね」
「……だから、同レベルに扱わないでくれって」
「しかし、間抜けな泥棒さんですね?」
「放っといてくれ。俺は、盗っ人稼業じゃないんだから」
 彼が言うには、元々は空を飛ぶ事を夢見て研究を続けていた設計家で、研究費が底を付き掛けた為、開発中のグライダーで館の上空まで滑空し、屋根に取り付き、そこからロープでセリアのバルコニーに降り立ち、盗みに入ろうとしたという事だった。その際、脱出用のロープを手に取ろうとしたら失敗した……という説明も追加された。つまり、自分は本職の泥棒ではない……と、こう主張しているのである。
「やっぱ、ドジじゃないか」
「うるせぇ」
「それにしても、空からやって来たとは……考えも付かなかったです」
「あ? あぁ。鳥に出来る事が、人間様に出来ないなんて、悔しいだろ? だから挑戦してみたくなったのさ」
 と、そこまで語った時。バーナードは、自らが乗ってきたグライダーが未だ、屋根の上に引っかかったまま放置されている事を思い出した。
「……どうしよう? 俺のグライダー、まだ屋根の上だぜ」
「えー!? それじゃ、遅かれ早かれ……」
「ちょ、ちょっと見てみる!!」
 セリアはバルコニーの縁に掴まり、ギリギリまで身体を外に出して屋根の方を伺った。だが、上の階の縁に邪魔をされて、そこから上を見る事が出来なかった。と、その時。下から大声でセリアに注意をしてくる声があった。
「セリアちゃん! なんて格好してんだい、危ないよ!!」
「あ、ダニー! 屋根の上に、何か引っかかってない?」
「え、屋根? いや、なんもないよ?」
「あ……そう? な、ならいいんだ。どうもありがとう!!」
 何だったんだ? というような表情で去っていくダニエルを見送ると、セリアはグライダーが屋根の上に無い事を報告した。
「変だな……? 昨夜は風は強くなかったし。グライダーは結構な大きさだから、落ちれば大きな音がするはずだし」
「とにかく、証拠になるようなものは無くなってるってわけだ。とりあえず一安心だね」
「な、なぁ……どうしてアンタ、俺を匿おうとするんだ?」
「さっきから言ってるじゃん、わかんないんだって!」
 と、そう言うセリアの頬には、確かに朱が差していた。が、自らの身を庇う少女の心理の方に興味が行っているバーナードは、それに気付かなかった。しかし、そのセリアの表情を、キャンディスは確かに見ていた。そして……
「あのぅ……バーナードさん? お腹、すいてません?」
「あ? あぁ、そういえば。夕べから何も食ってないからな、ペコペコだよ」
「考えたんですけど……この際、ダニーさんも抱き込んじゃいません?」
「えぇ!?」
 キャンディスの発した、彼女らしからぬ大胆なアイディア。しかし、そうすればバーナードの食事も何とかなる。暫く考え込んでいたセリアだったが、ニヤリと笑ってその案を呑むことにした。
「あ、あのさ……俺、どうなっちゃうの?」
「暫く、飼い猫の気分でも味わっていてください。ドジな泥棒さん!」
「……チェッ。ま、いいか。暫くのんびりと囲われてるのも、また一興かな」
「じゃあキャンディス、ダニーには上手く伝えてよ?」
「任せてください、ダニーさんとは仲いいですから」
 そう言ってウインクを残し、キャンディスはダニエルのいる厨房へと急いだ。
「……あの子、信じて大丈夫なのか?」
「大丈夫! ああ見えてあの子、アタシよりオトナなんだよ」
「いや、それは見れば分かるさ。それより……」
「……ん?」
「何で、アンタみたいな女の子が、あんな物騒なモン持ってんだ?」
 バーナードの視線は、机の上に無造作に置いてある拳銃に向けられていた。彼としては昨夜、銃口を向けられた時からずっと気になっていたのだが、セリア本人はおろか、キャンディスも特に気に留める様子が無かった。それが不思議だったようである。
「え? あ……アレは、ママの形見なんだ。アタシ、スラムで孤児やってた事あるから、身を守る為に……って、ね」
「……人に歴史あり、か」
 ふぅっ、とバーナードの視線が虚空を仰いだ。彼も裕福な暮らしをしていたとは言えないが、スラムにまで堕ちた経験は無い。こんな娘でも、そんな歴史を持ってるんだなぁ……と思うと、いたたまれない気分になった。
「……今度は、何?」
「ん? いや……この部屋は、安全なのかなーと思ってさ」
「あぁ。さっきのキャンディスって子以外は、滅多に出入りしないから。大丈夫だよ」
「滅多に……って事は、例外もあるんだな?」
「あ、あぁ……そりゃあ、まぁ……」
 そう考えると、この部屋も安全とは言い難いな……と、セリアは思考の闇に落ちた。彼を何とか庇いたい、隠し通したい……その思いで、彼女の頭は一杯だった。が、意外な所からもたらされた提案により、セリアの私室よりも安全な場所が提供される事になるのだった。

********

「大丈夫だ、誰も居ない……早く!」
「OK、サンクス……よし、渡り切った!」
 バーナードを誘導していたのは、なんとダニエルであった。誘導された先は、小麦袋の倉庫の一番奥。ここにカギ状の隙間を作り、身体を隠すわけだ。こんな隠れ場所を考え付いたのも、厨房で働くダニエルならではである。
「なるほどな……こんな場所へは、流石に館の主も、メイドですらも来ないだろう。礼を言うぜ、ダニエルさん」
「ダニーで結構。ダニエルって呼ばれると、くすぐったい」
「じゃ、俺もバーニィでいい」
「あ、なら私も、バーニィと呼ばせてもらっていいですか?」
 ダニエルに便乗して、キャンディスも略称で呼ぶことを要求した。
「あぁ、いいよ。そのかわり、アンタのことはキャンディと呼ぶぜ」
「……その呼び名、子供の頃以来です」
 照れがあるのか、キャンディスの頬が仄かに朱に染まった。
「キャンディスがOKなら、アタシもOKだよね?」
「勿論だ」
 セリアに対しても、バーナードは略称呼びを快諾した。尤も、セリアは名前そのものが短いためか、略称は無かったが。
「バーニィ、小麦袋を3・3・4の回数で叩く音が、この3人のうちの誰かが来た時の合図だ。それが聞こえない足音の場合は、真っ直ぐ正面に逃げるんだ、いいな?」
「OK、ダニー」
 脱出の合図まで打ち合わせた4人は、『共犯』という呼び名を甘んじて受け入れ、むしろそれを楽しんでさえいた。唯一、正真正銘の犯罪者であるバーナードのみが、『いいのかなぁ』といった表情を浮かべてはいたが……彼は既に捕まる事を覚悟しての行動であった為、もはや気楽な物であった。
「ダニーさん……セリア、アレは間違いありませんね」
「あぁ、間違いなくバーニィにホレてるぜ……だからだろ? 匿ったのも」
「それ以外に考えられないですよ! ああ、セリアにもやっと春が来るんですね」
「嬉しそうだね?」
 これ以上ないぐらいのニヤケ顔で、キャンディスとダニエルはセリアとバーナードの顔を眺めていた。彼らには共通して、妹に彼氏が出来たような嬉しさがあった為、二人の間柄を取り持とうとしていたのだった。
「キャンディス、二人の前途を祝して、杯でも挙げないか?」
「まだまだ! セリアがヴァージンロードを歩くのを見届けなければ、安心出来ないです!」
「あ、そ……」
 心なしか、ダニエルの顔には残念そうな影が映ったが、それを見届ける者は誰一人として居なかった。

********

 トントントン、トントントン、トントントントン……

 この場所に匿われて2週間、小麦袋を叩くサインにも慣れてきた頃。そこに立っていたのは、キャンディスだった。
「お食事です」
「キャンディか? いつも悪いな」
「いえ……あ、流石に二人で入ると、少し窮屈ですね」
「仕方あるまい、元々は人が居つく場所じゃないからな。それに、隠れるには、少し狭いぐらいで……ん? 何だそりゃ」
 背後からの視線に気を遣いながら寄ってくるキャンディスが、今日は食事の乗ったトレーの他に、紙袋を携えているのが目に入った。
「あ、これ……ダニーさんからです。2週間も同じ服を着たままじゃ、そろそろ匂うだろうって」
「着替えか……有難い」
 袋の中に入っていたのは、恐らくダニエルの物であろう。着古した感じのジーンズとシャツ、それに下着一式だった。
「流石に、これ以上着続けてたら、匂いで居場所がバレちまうかも知れねぇからな」
「クス……トレーを下げに来る時に、着替えた服も一緒にお預かりします。じゃ、また後で」
「あぁ、サンキュ」
 そして、素早く周りを見回し、誰も居ない事を確認すると、キャンディスは元来た通路を引き返していった。
「ダニーめ、良く気が付く野郎だぜ……早速世話になるとするか」
 食事の前に着替えを済ませてしまおうと、バーナードはすっかり異臭を放つようになってしまった着衣を脱ぎ捨てた。しかし、着替えたはいいが、この汚い服を彼女に預けるのか……? と考え至った時、彼は少し躊躇いを感じた。
「……かなり……匂うよ……な?」
 自分で今まで着ていた服の匂いを嗅いでみて、バーナードは思わずむせ返った。着ていた本人ですらコレだ、他者が……ましてや、あんな華奢な女の子がコレを嗅いだら……と思うと、この布の塊を彼女に手渡すのが恥ずかしくなったのだ。
「……ま、まず食っちまうとするか」
 照れている自分自身を振り返り、柄でもない……と苦笑いを浮かべ、彼は用意されたサンドイッチを頬張った。マスタードを強めに効かせたそれは、彼の好みに合っていた。
「うめぇ……匿われている身で、こんなうめぇモン食って、罰でも当たらなきゃいいがな」
「それなら大丈夫。むしろ罰が当たるのは、アンタを匿ったアタシの方さ」
「……!! せ、セリア……脅かすな!」
「わり、合図はしたんだけどさ……聞こえなかった?」
 食事に夢中になっていた所為か、バーナードはセリアが近付いてきた事を知らせる合図を聞き逃していた。今の事実は、彼に強い焦りを感じさせた。
「指で袋を叩く合図はともかく、足音まで聞こえないとは……俺、耳が悪くなったのかな?」
「いや、そりゃアタシの歩き方の所為さ。これでもスラムの裏街道で生きた経験者だからね、足音を殺す事ぐらい、訳ないのさ」
「そ、か……まぁとにかく、脅かしっこは無しにしようや」
「ん……ゴメン」
 素直に謝るセリアの横顔を見ながら、バーナードは食事を再開した。
「……何か用か?」
「よ、用が無かったら来ちゃいけない?」
「そうは言わねぇが……」
「なら、いいじゃない」
 美味そうにサンドイッチを頬張るバーナードの横にチョコンと座ると、その横顔を眺めながら、セリアは目を細めた。
「見詰めるな、照れる」
「あら、女の子として意識してくれてるの?」
「レディの扱いについてのポリシーは、既に話したはずだ」
「レディ、かぁ……アタシ、もっとワイルドな生き方のほうが好きなんだけどな」
「……?」
 膝小僧を抱えて小さく身を屈めると、セリアはバーナードを見上げながら、ここに来てからの経緯を語りだした。元々、好きでここに居るのではないという事や、買い手が付きそうになっても断ってしまう事など、色々と。
「へぇ……要は、自分を掻っ攫ってくれるような奴がお好み、ってか」
「そ。金持ちの家に嫁ぐとか、使用人として一生を終わるとか。考えたくない訳よ」
 そこまで語ったとき、セリアの視線がバーナードのそれと重なり合った。
「……アンタが降ってきた時、正直言って胸が躍ったよ。チャンスかも、ってね」
「何だそりゃ?」

 トントントン、トントントン、トントントントン……

「あの……お邪魔でしたか?」
「いんや、全然」
(……横にいるお嬢さんは、そうは言ってないみたいですけどね)
 いいところで! と言わんばかりに頬を膨らませ、恨めしそうにキャンディスを睨むセリアが、そこに居た。無論、バーナードの位置からは死角になっているため、その顔は見えなかったが。
「……また話しに来る。いいだろ?」
「退屈しのぎに丁度いい、ただし今度は合図をしっかりと頼むぜ」
「ハイハイ……」
 そう言って、セリアは本当に足音一つ立てずにサーッと駆け抜けていった。
「すげぇな、その気になりゃスパイに転職できるぜ」
「セリアったら……私はトレーを下げに来ただけだから、すぐ出て行くのに」
「不器用なんだろ? きっと」
「ご明察。彼女、凄く義理堅くて正直だから、上手じゃないんです……生き方が」
 クスッ、と笑いながら……キャンディスはセリアと入れ替わるように腰を下ろした。彼女の方がセリアより年上だが、小柄で童顔なせいか、幼く見えた。が、中身はやはり年齢相応にオトナであった。
「……どうしました?」
「いや……すまねぇ。やっぱ、女の子なんだな。いい匂いがして……つい」
「ま、お上手。でも、セリアだって女の子なんですよ?」
「そりゃ、そうなんだけどよ……参ったな」
 どうやらバーナードは、大人しい女性の扱いが不得手であったらしい。セリアのようにズバズバと突っ込んでくる感じのタイプは大丈夫なのだが、キャンディスのようなタイプを前にすると、あがってしまうようであった。
「……お似合いだと……思いますよ?」
「何が?」
「いえ、なんでもないです……あ、着替えた服も、お預かりしますね?」
「……!! ちょ、ちょい待ち!!」
 無造作に脱ぎ捨てられていた彼の着衣をキャンディスが手に取ろうとした時、バーナードは慌ててそれを引っ込めた。
「ど、どうしたんです?」
「あ、いや、その……これ、すっごく匂うから」
「……? それが?」
「はっ、恥ずかしいんだよ!」
 真っ赤になって俯き、バーナードは子供のように拗ねてしまった。そんな彼を見て、キャンディスは思わずプーっと吹き出していた。
「やだ、バーニィ……可愛いところ、あるんですね!」
「わ、悪いかよ」
「……ご安心ください、私、こう見えてもプロのメイドなんですよ? 汚れ物の匂いごときでは動じませんし……それを着ていた人を笑ったりもしませんから」
「……ほ、本当に?」
 キャンディスはクスッと笑いながら、バーナードの方に手を差し出した。そして渋々と汚れ物の衣類を差し出す彼の手からそれを受け取ると、彼女は更にニッコリと微笑んで、身を翻した。
「じゃ、お洗濯したらお返ししますね」
「あ、あぁ……それと、ダニーに伝えてくれ。ごちそうさま、って」
「はい」
 先程のセリアと違い、軽やかな足音を残して去っていくキャンディスの後姿を見送りながら、バーナードは暫く身を隠すのも忘れて呆けていた。
「ああいうのを、女の子……って言うんだよなぁ」
 そうして漸く、いつもの位置に戻ったバーナードは、暫く放心状態に陥った。その脳裏にはキャンディスの満面の笑顔が浮かび、彼の心をジワジワと掴んでいった。そんな自分の心の変化に気付き、一人照れ隠しに頭をかきむしる彼の声を物陰で聞きながら、一人唇を噛み締める……セリアの姿があった。

********

「どうだ? ラティーシャ」
『……かなり、遠くから飛んで来たようですね……で、屋根に降りたあと、乗っていた人は……これはセリアの部屋ですね……入っていくのが見えます』
「そうか……最近、彼女が大人しい理由はそれか」
『間違いないと思います……どうします? まだ操縦者の彼、お屋敷の中に居るみたいですが』
「泳がせておいて良いだろう。物盗りに入ったようだが、実際に被害は出ていない。それより……」
 バーナードが乗ってきたグライダーを秘密裏に回収し、ラティーシャの能力で飛んできた経緯から侵入経路に至るまで、細かく透視したメイヤーが、何やら思い含んだような感じで考え込んでいた。
「……その彼、何故脱出しないんだと思う?」
『それは……セリアに匿われているのは間違いないとして、彼女に理由を訊くのも野暮だと思いますし……』
「やはり、そう思うか?」
『それ以外に無いでしょう……警戒網を甘くしていても脱出しないという事は、離れたくない理由が出来たと考えるのが自然です』
 ふう……っと、メイヤーは軽く溜息をついた。向こうがアクションを起こさない限りは、彼としても動きようがない。さて、どうしたものか……と、彼は再び思考の闇に落ちた。が、すぐに顔を上げ、纏めに入った。
「……結論を急いでも仕方が無い、向こうが動いたら対応する……これでいいだろう」
『異存ありません』
 こうして、セリア達の行動は赤裸々に分析されていたが、敢えて野放し……という措置が取られる事になった。

********

 トントントン、トントントン、トントントントン……

「キャンディか?」
「残念でした……アタシだよ」
「あれ? どういう風の吹き回しだよ、お前がメシを持って来るなんてさ」
「たまたまだよ。キャンディス、ダニーと何か相談してたみたいだったから。暇だったアタシが持ってきてやったのさ」
「へぇ……」
 あからさまに声のトーンが落ちるバーナードを見て、セリアはわざと大袈裟に膨れてみせた。
「何だい、アタシじゃ不満だってのかい?」
「そ、そんな事言ってないじゃないか……何なんだよ、ニコニコしたり、ツンツンしたりさ?」
「アタシの勝手だろ……ほら、早く食っちまいな」
「あ、あぁ……」
 今日はサンドイッチの横に、ポテトポタージュのカップが付いていた。それに、別に用意された水筒には紅茶が入っており、いつもより少し豪勢な感じであった。
「……おいしい?」
「あ、あぁ、美味いよ」
「……そのポタージュ、アタシが作ったんだよ」
「へ? ダニーじゃねぇのか……へぇー、やっぱ女の子だなぁ。流石だよ」
「よっ、よせよ」
 素直にポタージュの出来栄えを褒めるバーナードの顔をまともに見る事ができず、セリアは思わず顔を背けた。
「……照れる事ないじゃないか、胸張れよ。こんな美味いポタージュ、初めてだよ」
「だ、だから……」
「……?」
「う、うん……アリガト……嬉しい」
 今日は本当に、セリアの百面相でも見てる気分だなぁ……と、バーナードは思わずクスッと笑った。そして食後に紅茶を飲んだあと、それを丁寧にトレーに戻して礼を言った。
「ありがとう、今日も美味かったよ……特にポタージュがな」
「ばっ、馬鹿……! 褒めたって、何も出ないよっ!」
 ポタージュが、と強調したのは彼なりの気遣いだった。わざわざ特別メニューを設えてまで自ら食事を運んでくるという事は、彼女に何か考えがあるのかも知れないと読んだからである。
「……何かあったのか?」
「へっ!? なっ、何のこと!?」
「あ、いや……何もないのなら良いんだけどさ。セリア、いつもと感じが違うって言うか……うん、何でもない。今のは忘れてくれ」
「あぁ……」
 そう言って、トレーを脇に避けながら、セリアはバーナードの隣にチョコンと腰を下ろした。その視線はしっかりと、彼の横顔を捉えていた。
「……ま、何も話が無い、って言ったら嘘になるかな」
「ん?」
「……いつまでも、アンタをこんな窮屈な場所に匿っておくのにも、限界があるだろうと思ってさ。ちょっと考えてきたんだよ」
「へぇ?」
 暫く間を置いた後、セリアは昨夜、寝ないで考えたアイディアをバーナードに話して聞かせた。
「……なるほど。この屋敷は警戒網が厚くて、脱出が困難だから……いっそ、屋敷の使用人に紛れ込んでしまえばいい、って事か?」
「そう! ただ、使用人は厳しくチェックされて、顔も名前もしっかりと記録・管理されてるからね。普通に変装して紛れ込むだけじゃダメなんだ。だから……」
 そうして、更に顔を近くに寄せ、セリアは殆ど耳打ちに近い格好で詳細を説明した。
「……だ、大胆な事を考える奴だな。でも、上手くすれば職にも就けるし。それに……堂々と屋敷の中を歩けるようになって、万々歳だ」
「だろう?」
「でも、そう上手くいくのかよ?」
「やってみなけりゃ分からないよ……ただ、切っ掛け作りに、アンタが潜り込んでるって事実を利用させてもらうけどね」
「な、何だと!?」
「ま、見てなって……さてと、あまり姿を消してると、他の子が怪しむからね。アタシ行く。作戦の事は、任せといて!」
 セリアはパンパンとスカートの埃を払って、珍しくウィンクを残して去っていった。
「だ、大丈夫なのかなぁ……?」
 不安げな表情で、バーナードはその後姿を見送った。だがセリアには、これ以上ないぐらいの自信があったのだ。

********

「どうだった?」
「ん、ビックリしてたけど、納得はしたみたいだよ」
「しかしまぁ、セリアちゃんも大胆な事を考えるねぇ?」
 セリアは厨房に戻って、今のやり取りの結果をキャンディスとダニエルに報告した。ただし、ポタージュを褒めてくれた一件だけは隠して……であったが。
「でも、どういう風の吹き回しだい? セリアちゃんが『調理を手伝う!』だなんて」
「もぉ、アイツと同じ言い回ししないでよ……き、気まぐれだよ!」
「ふぅん……?」
 と、惚けた振りをしていたが、ダニエルとキャンディスにはセリアの内心は既に筒抜けであった。彼女が少しでも、女の子としてのアピールをして彼に近付こうと努力している事は、誰の目から見ても明らかだったからである。
「そうそう、話を聞いてアイツ、『職にもありつけて、堂々と屋敷の中を歩けるようになるな』なんて言ってたわ。何だかんだで、ここに愛着でも……!!」
「……? どうかしましたか、セリア?」
「う、ううん! 何でもない! とにかく、アイツも乗り気だからさ。一気に事を進めちゃおうよ!」
「OK……じゃ、まずは俺が切っ掛けを作ってやるよ。食料が荒らされてる、ってな」
 うんうんと、二人は揃って頷いた。そのアクションを皮切りに、セリアとキャンディスのコンビが、賊が屋敷に侵入している事実を吹聴して回り、メイヤーに働きかけて警備体制を増強させ、そこにバーナードを紛れ込ませよう……という作戦である。
「じゃ、アイツには隠れ場所を変えてもらう事になるな……食料庫にも監視の目が入る事になるからな」
「そうだね……じゃあ、またアタシの部屋にでも隠れてもらおうか?」
「灯台下暗し、ですね。賛成です、僅かな間だけですしね」
 普通なら、女子としては反対すべき発言であったが、キャンディスは敢えてそれを肯定した。しかし、この時キャンディスの胸には、少し焦りに似た気持ちが芽生えていた。が、その理由については彼女自身にも良く分からなかったようだ。
「それにしてもセリア、さっき何か、慌てたような感じになってましたが……アレは一体?」
「な、何でもないってば」
 セリアは平静を装って、彼の……バーナードの言葉の真意に気付いた事を隠した。彼はあの時、『堂々と屋敷の中を歩けるようになる』と言った。これは、キャンディスから離れずに済むようになる……という意味だったに違いない。そう考えると、胸が締め付けられるような思いだったが……彼女は必死にその動揺を押し留めていた。

********

「本当さ、ここにあったソーセージやハムがゴッソリ無くなってるんだ! ネズミの仕業にしちゃあ大袈裟すぎるぜ」
「ふぅん……だとしたら大変だ、泥棒が入ったんだ!」
「それも、一度や二度じゃねぇ。何度もだ! こりゃあ、まだ奴はこの中にいるぜ?」
 まず厨房で、ダニエルが賊侵入の話題の切っ掛けを作った。その噂は、調理人達の間で瞬く間に広まり、食料庫の家捜しにまで発展した。
「お、おい見ろ、あれ! 天井に穴が開いてるぜ!?」
「やだ、本当……誰かが天井裏を動き回ってるのかしら!?」
 今度はセリアとキャンディスのコンビが、賊の侵入を強調するかのように話を吹聴して回った。こうなると、もう屋敷中が大騒ぎになる。なにしろ住人の8割は女性、この手の話に恐怖心を煽られないはずが無いからだ。
「……そう来たか」
 その動向を、他のメイドたちから伝え聞いたメイヤーは、ニヤリと口角を上げた。素人にしては良く練られたシナリオに感心したのだろう。
『どうします? メイヤー』
「面白い、乗ってやろうじゃないか。もしかしたら、セリアにとっても幸福が舞い降りるかもしれないしねぇ」
『しかし、良いのですか? あの青年がセリアと結ばれるには、その……支払い的に無理があるような気がするのですが』
 ラティーシャの疑問は尤もだった。そう、『少女館』に登録されている少女たちを買い取るには、莫大なお金が必要となる。が、どう考えてもバーナードに、そのような金銭的余裕があるようには見えなかったからだ。
「……セリアの態度には、些か問題がある。しかし、此方から一方的に、放出するという事も出来ない。だから、僕もメイス様も、頭を悩ませていたんだが……」
『特別措置、ですか?』
「そうだ。もし仮に、彼がセリアに好意を抱き、セリアもそれに同意するならば、支払いを免除する事にすると、メイス様も仰っていてね」
 なるほど……と、ラティーシャもその措置に納得していた。ある意味『厄介払い』となる点については賛同できないが、その策であれば、結果として双方が幸せとなる。なら、それで良いではないか……そう理解したようだ。そして騒ぎが最高潮を迎え、これ以上放置していては風紀の上で問題になるというタイミングを見計らい、彼らは漸く動き出した。
「何事だ、この騒ぎは?」
「あっ、メイヤー! 話を聞いてくれ……泥棒だ、泥棒が屋敷の中を動き回ってるんだ!!」
「おいおい、落ち着きたまえセリア……僕は逃げはしない、まずはその手を離してくれないか?」
「わ、悪い……なぁメイヤー、こんな女ばかりの屋敷で、大丈夫なのか? もっと警備の数を増やした方が良いんじゃないか?」
「むぅ、あれだけの布陣を掻い潜る賊が現れたか……よし、警備の更なる増強に掛かる。ラティーシャ、手伝ってくれ」
 頷くラティーシャを従えて、メイヤーは踵を返して執務室へと戻っていった。それを見て、しめた! という感じで、セリアとキャンディスは嬉しそうに目線を合わせた。そしてその経緯を、彼女の私室のクローゼットの中に潜むバーナードに知らせると、彼は呆れたように肩を竦めて見せた。
「……まさか、こんなに上手く事が運ぶとはなぁ」
「とにかく、こんな窮屈な思いもあと少しだから、我慢してくれよな!」
「ああ、期待してるぜ」
 その言葉に、セリアはグッと親指を立ててウィンクした。キャンディスもまた、その仕種に頷いて、彼女に同調していた。
「あ、では……私は仕事に戻らなければなりませんので、これで……」
「ああ、またな」
 退出していくキャンディスの後姿を見て、バーナードはふぅっと息をついた。
「さて、と……これで警備増強が行われるのは確実になった訳だ。問題はそれがいつになるか、だな」
「そうだな、それが分からなきゃ……潜り込もうったって、準備もできねぇからな」
「どうやって聞き出すか……それが……問題だな」
 そう言って、セリアはベッドに身を預けた。そして、ふぅっと息をつくと……そのまま寝入ってしまった。
「おいおい、緊張感の無い奴だな……ま、俺が無害だって分かってるからなんだろうけどさ」
 セリアの寝顔をそっと撫で、ニッコリ微笑んで、バーナードは彼女が自分のためにしてくれている苦労を、そっと労った。

********

 その夜、セリアはメイヤーの執務室の近くの物陰に張り付いていた。助手のラティーシャが就業を終え、出てくるのを待っていたのである。
「ご苦労様、また明日も頼むよ」
 ドアが開き、室内からはメイヤーの声だけが聞こえてきた。ラティーシャは声を出せないため、ドアの前で丁寧に会釈をすると、そのままドアを閉めて自分の私室へと帰るために歩き出した。そのタイミングを待っていたセリアは、素早くラティーシャの背後を取った。そして片手で利き腕の関節を極め、もう片方の手で口を塞いだ。その手際は見事であった。
「悪く思うなよ……アンタに、ちょっと聞きたい事があるんだ」
『セリア……私に、この左手の拘束は意味がありませんよ。私は声を出せないんですから』
「そうは行くか、首から提げてるホイッスルの事は知ってるぜ」
『安心して下さい……むしろ、いつ貴女が来るのかと待っていたんです』
「な、何!?」
 その発言に驚き、セリアは思わず口を塞いでいた左手を離してしまった。
『逃げたり、警笛を吹いたりはしませんので……出来れば、その右手の拘束も解いてはいただけませんか?』
「ほ、本当だな?」
『急いだ方がいいですよ。メイヤーがそろそろ、執務室から出てくる頃です』
「……!!」
 セリアは慌ててラティーシャの手を離し、まるで会話でもしているかのような姿勢を装った。そして、ラティーシャの手引きで彼女の私室に案内され、二人はそこで話をする事になった。セリアが優位に立つはずが、すっかり立場が逆になってしまっていた。
『……空から侵入してくるとは……斬新な泥棒さんですね、彼……』
「な!?」
 既にバーナードの事を……いや、彼の侵入経路までも知っていたラティーシャに、セリアは思わず戦慄した。そこで彼女は、ハッと彼の乗ってきたグライダーの事を思い出した。
「じゃ、じゃあ……アイツが乗ってきた乗り物を回収したのは……?」
『はい。いち早くあれを見つけたのは私ですが、一人ではどうにもならないので、数人の方に降ろすのを手伝って頂きました』
「あ、あ、あ……」
 彼女に知られているという事は、既にメイヤーも? と、すっかり怯えてしまったセリアを安心させる為、咄嗟にラティーシャは嘘をついた。
『メイヤーに知られる前にと、急いだので……その、結局、乗り物は壊してしまいましたが』
「え? じゃあ……」
『はい、メイヤーはこの事を知りません……あ、勿論、乗り物を隠すのを手伝ってくれた皆さんにも、口止めをしてあります』
 ふぅ……と、セリアは安堵の息をついた。本当はグライダーの回収にもメイヤーは同行しており、既に全てお見通しだったのだが……それをセリアに知らせる必要は無いと判断して、ラティーシャは芝居を打っていたのだ。そして更にこの密談も、実はメイヤーの仕組んだ作戦だったのである。
 ともあれ、メイヤーは一切彼の事には気付いていない、という前提で話は続いた。
『それで……私の能力については、もうご存知かと思いますが……彼の乗り物から、彼が何処からやって来たのか、どうやってお屋敷に入り込んだのか……といった情報を知る事が出来ました』
「何処から……云々はとりあえず後で良いや。とにかく、アイツの事はもう、お前にはバレバレだって事だな?」
『ええ……ワイルドで若くて、格好の良い方ですね?』
「……!!」
 ボッ! と火を点けたように、セリアの顔が赤くなった。その様子を見て、ラティーシャは彼女の本心を……何故、侵入した賊を匿っているのか、その理由を確信した。
「あ、あの、その……」
『隠しても無駄です。貴女の部屋から彼が侵入し、以来、お屋敷の中に匿っている……その理由を推理すれば、貴女の考えはお見通しです。以前から、好みの男性像は飽きるほど伺ってましたし』
「何故、その事をメイヤーに報告しない?」
『私だって乙女です……そういう理由だと察しが付けば、敢えて表沙汰にするような野暮はしません』
「……負けたよ。あぁ、そうさ。アタシはアイツに惚れちまったんだ。だから、ずっと一緒に居たいと思って……それで、捕まえた時点で突き出さずに、ずっと匿って……で、今回のこの作戦を思いついたのさ。メイヤーが話に乗ってくれたのは、本当にラッキーだったと思ってる」
 素直に、自分の本心を語るセリアを見て、本当に真っ直ぐな人なんだなぁ……と、ラティーシャは思わず目を細めた。
『衛兵の増員の為の選考会は、明後日の朝、裏門付近の詰め所で行われます。候補者を乗せた馬車が裏門から入ってきますから、その中に上手く、彼を紛れさせて下さい。準備が整うまでの間……メイヤーは私が足止めしておきます』
「ふぅん……選考会の場所が屋内なら、最初からそこに忍ばせておいた方がスマートに行くだろう。詰め所の鍵だけ貸してくれ」
『……セリア、お上手ですね』
「伊達に、スラムでの生活を経験しちゃいない」
 セリアはニッと笑って、目の前にいる彼女に、改めて礼を言った。
「……恩に着る」
『良いんですよ……それより、セリア! 応援してますからね?』
「おっ、大きなお世話だ!!」
 再び、セリアの顔がリンゴのように真っ赤になった。彼女ほど純情な少女も珍しいだろう。そして改めて握手をしたあと、ラティーシャと別れて、彼女は自室に戻っていった。

********

「明後日の朝、か……上手く潜り込めるかな?」
「大丈夫だ、ここのカーテンに身を隠して、候補者たちが入って来たら素早く紛れ込むんだ。整列が済むまでメイヤーは入って来ないと言っていたから、大丈夫。うまくいくさ」
 見取り図まで描いて、セリアは当日の作戦を説明した。そんな彼女の直向きさに、バーナードは最大限の礼を言っていた。
「ありがとう、セリア……本当に感謝する」
「……れ、礼を言うのはまだ早いよ、選考会で合格しなかったら、全ては水の泡なんだからね!」
 それを受けて、セリアは照れながらも、気を引き締めろとバーナードに注意を促していた。なお、彼女はグライダーの末路についても報告していたが、バーナードは『そりゃあ、ラティーシャって子に礼を言わなきゃな』と言って笑い飛ばしていた。

********

「おめでとう、バーニィ!」
「サンキュ……みんな、アンタのおかげだぜ」
 防具に兜、それに剣を携えた、いかにもなスタイルとなったバーナードを、関係各位……セリア、キャンディス、ダニエル、そしてラティーシャといった面々が取り囲んでいた。無論、人目に付かない倉庫の奥での話であったが。
 本来であれば、こうして衛兵として採用されるためには、とても厳しい審査を受ける必要があるのだが。今回行われたのは、選考会とは名ばかりの簡単なテストのみで、そこに参加したのは、この計画の内容を聞かされた衛兵ばかり。要は、彼を屋敷の中に入れるための策謀に引っ掛かった振りをしたメイヤー達による大芝居であり、逆にバーナードやセリア達の方が騙されていたという訳である。
 何故、メイヤーがこのような戯れを認めたのか……それはセリアの理想を叶えてやるために他ならなかったのだが、無論、彼女がそんな彼の心の内を知る由は無かった。
「似合ってるぜバーニィ、少なくとも黒尽くめの全身タイツよりはな」
「ほっとけ!」
「ハハハ。外回りは冷えるからな、覚悟して……そうだ、セリアちゃん。あのポタージュを差し入れてやっちゃあどうだ?」
「ばっ……!!」
 あからさまな煽り文句に、慌てたセリアが割って入ろうとした。が、バーナードは落ち着いた態度で、それを否定していた。
「……そうだなぁ、寒いときにあのポタージュは格別だろうな。が、それを頼むには……それなりの資格が要るだろう?」
「え……?」
「彼女ではない、他の子に心を奪われてしまった俺には……そんな資格は無いんだよ」
 そう言うバーナードの視線の先には、なんと……キャンディスが立っていた。
「え……え? ええ!?」
 キャンディスは顔を真っ赤に染め、オロオロと身をくねらせた。無理もない、彼女は今の今まで、バーナードはあのポタージュを要求すると……そう。セリアの手を取って、大喜びすると思っていたのだから。
「ダメ……かな?」
「い、いや、あの……わ、私なんかより、セリアの方が……お似合い……」
「倉庫に囲われてる時から、ずっと考えてたんだ……もし自由になれたら、打ち明けようってね」
 そう言って、バーナードはキャンディスの前に跪き、優しく手を取って彼女の顔を見上げていた。その時、ダニエルは放心し、ラティーシャは『まさか』と云った感じの表情でセリアの方へ振り返った。そして、セリアは……
「キャンディス、素直になりなよ。嬉しいですって、顔に書いてあるぜ。妬けちゃうぐらいに、似合ってるしな」
「せ、セリア……」
 そうしている間にも、ニッコリと微笑みながら、バーナードはキャンディスの返事を待っていた。
「この場で返事がし辛ければ、改めてくれていい……待っている」
「ま、待って!」
 セリアの気持ちを知っており、あまつさえ応援までしていたキャンディスは、その結論を出す事を暫し躊躇った。が、やがて彼女はセリアに深々と頭を下げ、ゴメンなさいを連呼してから……バーナードの元に駆け寄り、その頬に口付けをして、彼からの告白に対する返答に代えていた。
「ほーんと……似合ってやがるなぁ、あの二人……」
 そう言って、ダニエルは呆然としながらバーナードとキャンディスの姿を見つめていた。しかし刹那、彼は不意に頬を伝った涙を慌てて拭って、顔を伏せた。しかし、少し遅かったようだ。
(あーらら、ダニー。横取りされちゃったのね?)
(クッ……俺としたことが、不覚を取ったぜ……それよかセリアちゃん、そっちは平気なのかい?)
(アタシは……実はもう、覚悟できてたんだ。あいつがキャンディスに惹かれてるの、知ってたし)
(……そっ、か)
 しかし、やはり実際にくっついた二人を目の前にしてしまうと、やはり涙が溢れ出してきてしまう。それを必死に隠しながら、セリアはそっと背を向けた。と、そこに……ラティーシャが語り掛けてきた。
『……本当に真っ直ぐなんですね……これでまた、売れ残り確定ですね?』
「今までのカスとはレベルが違うよ……こりゃあ、流石のアタシでも立ち直りに時間掛かるねぇ」
『でも、あの潔さ……格好良かったですよ?』
「よせよ。少なくとも、アイツの前では泣きたくないんだから」
 売れ残り……この言葉が、こんなに悲しい響きだと知ったのは、これが初めてだった。しかし、今回は『売れ残った』訳ではなく、紛れもなく『失恋』である。その事実が更なる刺となって、セリアの胸に深く突き刺さるのだった。

********

「セリア、またかい……今度は何が気に入らなかったんだね?」
「何度も言ってるだろう? アタシは若くてワイルドな男が好きなんだ、ってさ!」
(……ハァ……何故、彼はセリアを選んでくれなかったのか……これでは、あの時の大芝居も水の泡ではないか)
 こめかみを押さえながら、先の目論見が空振りに終わった事を、メイヤーは心底から後悔した。しかし、彼女はまだ16歳と若い。通常、17歳程度から本格的な売買が始まる少女館としてはまだ余裕があったのだが、彼の不安は次第に大きくなっていくのであった。
(セリア……君の理想は叶えてあげたい。だが……彼女に感情移入するのは、控えた方がいいのか?)
『メイヤー、諦めた方がいいです。気長に待ちましょう、彼女の目に適う顧客が現れる事を』
(ラティーシャ……君も、セリアの味方なのかい?)
『私も、彼女と同じ……乙女ですから』
(……親の心、子は知らず……か)
 メイヤーは、ガックリと肩を落とした。その顔には、明らかに落胆の色が見えていた。
 そして、その後もセリアの我が儘に満ちた商談ぶち壊しは幾度となく続いた。約束された、なに不自由のない上級の暮らし……そんなものは欲しくない。ただ、心底から好きになれる伴侶を得て、その命が尽きるまで共に過ごしたい……彼女の望みはその一点に尽きるのだ。が、それをメイヤーが知る筈もなく。彼はただ、頭を抱えるばかりであったという。

<了>




『夢の軌跡』の外伝その3です。
今回は、本編に全く絡まないキャラが主役になっている、世界観だけを拝借した全くのオリジナルです(笑

前回のヒロイン『ラティーシャ』を説明役として起用し、支配人代行である『メイヤー』を踏み台にして物語を展開させることで
世界観の繋がりをキープした感じになりました。ですが、このお話も、キチンと以後の展開のための複線になっています。

つか、今回のお話は、『少女館にはメイスとメイヤー以外の男は居らんのか』という疑問を解消するために書いたようなもんです(笑
(2012年2月3日)


Back