創作同人サークル『Fal-staff』

『鏡の裏側』

「よいしょ、よいしょ……」
「リ、リネット! そんな雑用、私がやりますから!!」
 重そうな本を数冊腕に抱えて、ヨタヨタと廊下を歩く少女を、メイドが追い掛けながら窘めた。が、本を抱えた少女はそんなメイドを一瞥したあと、冷たく吐き捨てるように言い放った。
「いいよ、引っ込んでて。アンタにやってもらうと却って時間が掛かるし、後始末が大変なの」
「そ、そんな……確かに私は新米で、まだまだ及ばぬ所はございますが……でも!」
 ふぅっ、と溜息をつくと、少女――リネットはメイドの方に振り向きもせず、そのまま歩き出した。
「よぉ、リネット。本も重そうだけど、その上に乗っかってる無駄乳も、かなり重そうだねぇ?」
「関係ないわ、セリア。邪魔だからどいてくれる?」
 腕に抱えられた本によって押し上げられた胸は、元来の大きさを更に誇張する格好となって、一層目立っていた。それを胸の薄さをコンプレックスに持つセリアが目撃したのだから、嫌味の一つも出ようというものだ。
「ふん……なぁエイミ、アンタも災難だねぇ。あんな無愛想で陰険な奴が、初めての担当だなんてさ」
「そ、そんな事は……あ、あぁっ、リネット! 私がメイヤーから叱られてしまいます! ですから……」
 いつの間にか歩を進めていたリネットの後を追って、新人メイドのエイミが慌てて掛けていく。そんな二人の後姿を横目で見ながら、セリアは面倒臭そうに呟いた。
「……ったく、可愛げのねぇ……あれじゃ、折角のルックスも台無しってもんだぜ。ありゃあ、売れ残り確定だね」
「あらセリア、それをあなたが言いますか?」
「い、言うようになったな、キャンディス。彼氏が出来て、強気になったか?」
「公私のけじめはキチンと付けていますわ……あ、そうそう。メイヤーが執務室に来るようにと言っていましたよ」
 涼しげな顔でスパッと言い放つ、セリア専属のメイド――キャンディス。彼女は先刻のエイミとは違い、既にベテランと呼ぶに相応しいキャリアの持ち主だ。したがって、担当する少女の扱いにも慣れている。尤も、このコンビは既に2年近い付き合いとなるので、キャリアがどうのと言う問題ではないのだが。
「キャーッ!」
「もう! だから言ったでしょ! 余計な真似はしないで、って!」
 遠くから、先程別れた二人の声が聞こえてきていた。どうやら、エイミが何か失敗したらしい。
「……またか」
「仕方がありませんね……フォローしてきます。セリア、貴女は早くメイヤーの部屋へ。いいですね?」
「へいへい……あぁ、だりぃ」
 面倒臭そうに返事をすると、セリアはダラダラとした仕種で、ゆっくりとメイヤーの執務室へと向かった。そんな彼女の後姿を『やれやれ』といった感じで見守りながら、キャンディスは悲鳴と怒号が同時に上がった部屋へと急いだ。
「どうしたんですか?」
「キャンディス? いい加減、このドジメイドをアタシの担当から外すよう、上に言ってくれない? もう、うんざりだよ!」
 見ると花瓶がベッドの上に倒れ、寝具一式を見事に水浸しにしていた。恐らくベッドメイキングをしようとして昨夜のシーツを剥がしたところ、勢い余ってベッドサイドを飾っていた花瓶にシーツが被さり、ベッド上に落下した……と、こんなところであろう。
「す、すみません! 直ぐに乾かしますから……」
「乾かすってね、アンタ! こんな分厚いベッドマットを、どうやって乾かそうって言うの!?」
「落ち着いてください、リネット……空き部屋のベッドマットと交換します。それで宜しいですね?」
「……ふんっ!」
 このような事が、短期間のうちに何度も連続して起こるのである。これでは、相手が誰であってもウンザリして当然であろう。しかしエイミとて、故意にこんな事をやっているのではない。彼女も何とかリネットの役に立とうと、一所懸命にやっているのだ。それを分かっていたから、先輩であるキャンディスとしては彼女を庇いつつ、フォローするしかないのだった。
「すみません、キャンディス先輩……」
「いいのよエイミ、そうやって失敗しながら経験を重ねていくものなの。同じ事を繰り返さないよう、気をつければいいのよ」
 そう言ってエイミをフォローするキャンディスだったが、彼女としても、底意地が悪くネチネチした性格のリネットと彼女の組み合わせは、確かに問題が多すぎる……常々そう考えていた。だが、エイミを引っ込めて別な人物をリネットに宛がうとなると、引っ込められたエイミは行き場を失い、ますます低く評価されてしまう事になる。これを防ぎつつ現状を打破するには、やはり彼女自身に成長してもらうしかない……キャンディスはにこやかに微笑みながらも、心の中では涙を流していた。

********

「ダニーさぁん、いますかぁ?」
「ん? あぁ、エイミか。どうしたんだ、また何かやらかしたか?」
「『また』は酷いですよぉ……当たりですけど」
 エイミは先程の経緯を、こと細かに報告した。相談相手は、厨房で働く料理長のダニエルだった。エイミは派手に失敗して落ち込むと、ほぼ必ず彼のところに顔を見せ、話を聞いてもらう習慣がついていた。彼は昼食の後片付けを終え、漸く一息つけようとして、好物のアッサムティーの缶に手を伸ばしたところだった。
「あっはっは! そりゃあ、派手にやらかしたなぁ」
「もぉっ、笑い事じゃないですよぉ!」
 エイミはぷぅっと頬を膨らませて、拗ねてみせた。それを見たダニエルは、慌ててフォローに回った。
「はは……悪い、笑いすぎたな。えーと、アッサムで良いか? 丁度、これから淹れるところだったんだが」
「あ、はい」
「ところで,エイミ?」
「はい?」
 ポットの支度を整え、砂時計をひっくり返すと、ダニエルはエイミの方に向き直って問い質した。
「何かあるたびに、俺のところに来るようだが。どうして俺なんだ? 他にも良さそうな相談相手は沢山居るだろうに」
「あー、それは……ダニーさんだと、真剣に話を聞いてくれそうで、安心できるから」
「そうかぁ? 本当はコイツが目的なんじゃないの?」
「……バレました?」
 茶請けにと焼き始めたパンケーキを指差して、ニヤリと笑うダニエルの指摘に仄かに頬を染め、エイミはペロリと舌を出した。しかし彼女の発言は嘘ではない。彼の人柄を信頼しているからこそ、傷ついた時の癒しを求めて彼を訪ねる習慣が付いていたのだった。無論、本人には黙っていたが。
「あっはっは! いいねぇ、正直で。女の子はそのぐらい素直じゃなきゃダメだよ……ホイ、お待たせ!」
「わぁっ、美味しそう!」
 厨房に顔を見せたときの暗い表情は何処へやら。紅茶と一緒に差し出された特製のパンケーキを目の前にして、エイミは瞳を輝かせた。この気持ちの切り替えの早さは、打たれ強さと並ぶ彼女の武器の一つであった。
「お前さんは、失敗しちゃなんねぇっていう緊張が強すぎて、肩に力が入りすぎてんだよ。そこを直せばいいんだ」
「うう……分かってはいるんですが、リネットは厳しい人ですから。打ち解けようとしても、突っぱねられるし」
「んー……確かに、あの子は友達付き合い……いや、人との接触そのものが苦手そうだなぁ」
 ダニエルの推測は的を射ており、リネットの人間嫌いを見事に言い当てていた。なお、それについてはエイミも既に考察済みで、同い年という立場から、フレンドリーな接触を試みた事があった。だが、リネットはそれに対して『馴れ馴れしい』の一言を放ち、エイミの厚意を一刀両断にしたのだった。その時から、彼女はリネットに対して僅かながらに苦手意識を持つようになっていた。が、諦めずに接点を築こうと頑張っているのである。
「まぁ、とにかく。誠心誠意、務めるしかないですね」
「ああ。ただし、肩の力は抜いてな」
「はい!」
 簡単にやり取りをしたあと、パンケーキが冷めないうちにと、ダニエルは皿を勧めた。暖かなおやつを食べて心が休まったのか、エイミは元気を取り戻して仕事に戻っていった。
「しかし……メイドになって最初の相手がリネットってのが、あの子の不幸……かな?」
 厨房仕事の彼にまでそう思わせるほど、リネットの悪評は高かった。そんな彼女の世話をして、満足させるのは容易な事ではないな……と、彼は密かに、走り去る小さな背中に同情の視線を送るのだった。

********

(つまらない……連れて来られた時には、もっと面白い事が起こると期待していたのに)
 時々、マナー講習のような授業がある他は、勝手気ままに屋敷の中で過ごすか、許可を得て近所に買い物に出るだけの生活。幾ら将来が保証されているとは言っても、彼女にとっては退屈そのもの。ここに来る以前の貧困時代の方が、まだ毎日の生活に緊張感があって、楽しかった……リネットは、この『少女館』での生活に不満を持っているようだ。
 そもそも彼女は『少女館』に来るまでの人生において、強盗被害や性的暴行など数々の悲劇を体験しており、その結果、他者との接触が苦手となっていた為、集団生活そのものに抵抗があったのだ。そこに、連日のように繰り返されるエイミのドジぶりが重なって、彼女は最早ストレスで心を押し潰されそうになっていた。
(でも……買い手が付かない限りは、ここから出て行く事は出来ない……と言って、猫を被るのも嫌。ああ、自由になりたい)
 彼女も、他のメンバーと過去は似たようなもので、極貧のスラム街で暮らしているところを人身売買の一味に攫われ、その後メイヤーに買われた中の一人だ。彼女達が『仕入れられて来る』ルートには幾つかのパターンがあったが、そのうちの一つが、彼女のような『人身売買業者からの買い付け』なのである。最も確実で、リスクの少ない手法であるためか、同じルートでここに来た少女は多い。そしてその大半は『少女館』での生活に満足し、悠々と暮らしているのだが……彼女のような異端の者も、少数ではあるが存在するようであった。
(脱走……無理ね。リディアたちが二階から飛び降りて逃げ出したって聞いたけど、私にあんな真似は出来ないし)
 あれこれと、この館――『少女館』から抜け出す方法について思考を巡らせるリネットであったが、なかなか良いアイディアは浮かばない。外出中の隙を突いて逃げ出しても、それは一時的なもの。追っ手がついて、直ぐに見付かってしまうだろう。それを考えると、衛兵に捕まる事もなく、見事に逃げ遂せたあの双子は、なんと狡猾なのだろうと、改めて感心するほどであった。
(……考えていても仕方が無いわね。憂さ晴らしに、少し街を歩いて来ようかな。少しは良い考えも浮かぶかも知れないし)
 開いていただけで、その紙面には視線すら落としていなかった本をパタンと閉じ、リネットはエイミを呼びつけた。
「おっ、お呼びですか?」
「街に行きたいの。メイヤーにそう伝えてくれる?」
「わ、分かりました!」
「どうでもいいけど、アナタ声が大きすぎるのよ。元気なのは結構だけど、もう少し何とかならない? 煩くて仕方が無いわ」
「はい、スミマセン……」
 最後の一言が胸に突き刺さったのか。エイミは肩を落としながら、用件を済ませるために退出していった。閉じられるドアを一瞥すると、リネットは大袈裟に溜息をついて、いかにもつまらなそうな仕種をしてみせた。誰も見ていないというのに。
 暫くすると、エイミと一緒にメイヤーがリネットの私室を訪れた。外出前の『儀式』である。
「外出を希望しているようだが、用件は何だね?」
「気分転換と、ちょっとした買い物よ」
「既に知っている事と思うが、お金はメイドに持たせる。買い物の金額に上限はつけないが、度を越した高額な買い物はしないように。いいね?」
「分かってるわよ、何が欲しいっていう訳じゃない……ただ、外の空気が吸いたいだけだもの」
 当然、この外出にも同行する事になるエイミの姿を一瞥し、リネットは『ハァ……』と溜息を吐いてみせた。その仕種を見て、エイミは『あぁ、信用されていないなぁ』と、また自信を失くしていく。だが、彼女は先程ダニエルから受けた言葉を思い出し、ニッコリと微笑みながらリネットを促した。
「お供いたします。さあ、日が暮れてしまいますよ!」
「……言われなくても分かってるわよ。それより、その大きな声、何とかしてって言ったでしょう?」
「あ、スミマセン……」
 エイミはどうも、自分を鼓舞する際には大声になってしまう癖を持っているらしい。指摘されれば一時的に気を付けるのだが、時間が経つと、どうしても元に戻ってしまう。まぁ、癖というものは得てしてそういう物であるが。
「ではメイヤー、行ってまいります」
「日没までには戻るように……いいね? 彼女を守るのも、君の仕事の一つなのだから」
「はい!」
 メイヤーの注意にビシッと返事をしたあと、エイミはサッと踵を返して、先を歩くリネットの半歩後に位置を取った。
 外は既に木枯らしの舞う、肌寒い時期になっていた。門前を守る衛兵達も、気をつけの姿勢は保ってはいるものの、カチカチと歯を鳴らしている者も少なくはない。
「やぁリネット、外出かい?」
「……まあね、気分転換よ」
 声を掛けてきた門番――バーナードの声をも軽くあしらう感じで、いかにも面倒臭そうに返事をするリネット。そんな彼女の態度をフォローするかのように、エイミが代わって挨拶をした。
「こんにちはバーニィ! 寒い中、大変ね」
「なぁに、これが仕事だからね。交代が来たら、ダニーのところに行って、何か温まる物でも作ってもらうさ」
「あら、キャンディス先輩の手を握るだけで、暖かくなるんじゃないの?」
「……!! ま、マセた事を言うんじゃない!」
 図星を衝かれ、バーナードは赤面した。彼は配属されたばかりの新米の衛兵であったが、その採用の経緯の中で恋仲となったキャンディスとの間柄は、もはや屋敷の中で知らぬ者は居ないほど有名であった。
「はっはっは! 一本取られたな、新米!」
「せ、先輩! からかわないでください!」
 門の反対側に立つペアの衛兵が、そのやり取りを聞いて冷やかしを入れて来た。その顔は笑って居たが、目が笑っていない。恐らく彼も、密かにキャンディスに目をつけていた中の一人だったのだろう……そんなやり取りが為されている間、すっかりその存在を忘れ去られていたリネットが、痺れを切らせたかのように急き立てた。
「いい加減にしてくれない? 私、早く出掛けたいんだけど」
「あっ、す、スミマセン……じゃあバーニィ、またね!」
「ああ、気をつけてな」
 リネットの後を、パタパタ走って追い掛けるエイミの後姿を見送りながら、バーナードは直立不動の姿勢に戻って任務を続けた。彼もまたエイミに対し、エールを送るのだった。

********

「待ってくださぁい……はぐれてしまいますよ、リネット!」
 確かに、人通りの多いこの街は、ちょっと目を離せば直ぐに連れとはぐれてしまいそうな混雑振りであった。実際、リネットを追い掛けるエイミも、必死について来ているといった感じであった。
「何をモタモタしてるのよ、置いていくわよ!」
「そ、そんな事いったって……あ、スミマセン! ゴメンなさい!」
 擦れ違いざまに人とぶつかり合いながら、彼女は必死に追い掛けてくる。そんな無様な姿を見て、すっかり呆れ果てたのか。リネットはスッと歩速を上げ、自分のペースで歩き出してしまった。冗談じゃない、気分転換のためにわざわざ外出したのだ。ドジなメイドのお守りのために、これ以上気分を害されてはたまらない。そう考え、後方から聞こえるエイミの叫びを無視して、彼女は更に歩速を上げた。気が付くと、視界からエイミの姿はすっかり消えていた。完全にまいてしまったようである。
「子供じゃないんだし、自分で何とかするわよね。疲れてきたし、もう暫く歩いたら帰ろうかな」
 呟いて、何気なしに周囲を見渡す。と、その時。我が目を疑うような物が視界に入り、リネットはそちらに向かって歩き出していた。彼女が今、注目しているもの……それは、一人の靴磨きの少女だった。リネットは目深に帽子を被り、顔を隠すようにしてその少女の目の前に置かれた踏み台の上に足を乗せ、反応を待った。
「あ、いらっしゃいませ!」
 薄汚れたその顔を上げ、少女はリネットの方に向き直った。その顔をジッと見て、リネットは更に驚嘆の声を上げた。
「……こんな事って、あるのね……ねぇ、アナタ……アタシの顔を見て、どう思う?」
「えっ? どうって……え? えぇ!?」
 唐突に言葉を掛けられた少女は、慌てて声の主――リネットの顔を見上げた。最初は帽子とスカーフで顔を隠すようにしていた彼女が、その素顔を晒すと……次の瞬間、靴磨きの少女も驚いていた。それもそのはず、互いに鏡を覗いているかと錯覚するほど、二人の姿は似ていたのだ。
「私はここにいる……でも、私に話し掛けられて……!?」
「落ち着きなさい……って、ここまでソックリだと、驚くなと言う方が無理かもね……」
 驚きを隠せないまま、二人は互いの顔を凝視した。『落ち着きなさい』と言ってはみたものの、リネット本人も未だに目の前にいる少女の姿を、幻ではないか……と疑っている程であった。
「ねぇ、アナタ……いつもここにお店を出してるの?」
「え? あ、はい……家がここなので」
 漸く落ち着きを取り戻し、先に口を開いたリネットの質問に、少女は背後の建物を振り返った。そこはレストランを兼ねた、小さな宿屋だった。主人夫婦の厚意で、格安で部屋を貸してもらい、そこに住んでいるのだという。
「しかし……見れば見るほど、ソックリ……」
「本当……これなら、入れ替わっても分からないですね、きっと」
「……!!」
 少女の口から放たれた何気ない一言を聞いて、リネットは自分が置かれている境遇を打破するためのアイディアを閃いた。
「……ねぇ、アナタ。お金持ちの生活に、憧れた事ってない?」
「え? それはありますよ。お金さえあったら、もっと美味しいものを食べて、綺麗なお洋服を着て……でも、そんな事……」
「出来るのよ、それが!」
「え!?」
 そう言ってリネットは、ニッコリと微笑みながら互いの顔を交互に指差した。
「……まさか!?」
「そう、そのまさか……よ」
 いきなりの展開に、少女は目を白黒させたまま、呆然としていた。が、やがて状況を把握すると、彼女は慌てて露店の靴磨き道具に覆いを掛け、リネットを自分の部屋に案内していた。ただでさえ目立つこの状況で、この先の相談を続ける事は危険だと考えたのだろう。
「ふぅん……想像していたより、いいお部屋ね」
「一応、ホテルの一室ですから」
 やり取りをしている間にも、リネットは目の前の少女を観察していた。ザッと見た感じ、背格好はほぼ同じ。服の上からではハッキリとしないが、体格も似たようなものだろう。
「……自己紹介が遅くなったわね。アタシはリネット。リネット・クリフォードっていうの」
「あ、ヴァネッサ・ガーランドです……ところで、お金持ちの生活、って言ってましたけど……貴女は?」
「『少女館』って知ってる? アタシ、そこのメンバーなの」
「……!!」
 『少女館』の名を聞いて、ヴァネッサの目の色が変わった。なにしろ『少女館』と言えば、この一帯では知らぬ者などいない、名門クリフォード家の運営する淑女養成機関。選ばれし者のみがその門をくぐる事の出来る、まさに憧れの存在なのである。そこに所属する少女が、いま目の前にいるのだ。しかも彼女の容姿は自分と瓜二つであり、察するに、自分との入れ替わりを提案してきている……これで冷静を保てと言う方が無理な話であった。
「で、さっきのお話。アナタさえ良ければ、だけど……アタシと入れ替わってみない?」
「ど、どうして……? 少女館といえば、最高の生活を約束された、何一つ不自由の無い身分の……」
「そういうのが嫌な人も、中には居るって事よ……どう? 悪いお話ではないと思うのだけど」
 あまりにストレートすぎる要求に、ヴァネッサは狼狽した。自分が首を縦に振ればその時点で話は決まり、自分は贅の限りを満喫できる環境に入る事が出来るのだ。しかし……と考えているところに、リネットが更なる質問をしてきた。
「アナタ、ご家族は?」
「あ……数年前まで両親が居ましたけど、流行り病で二人とも……だから今は独りです」
「そう……アタシは物心ついた時から独りだったわ。スラムに捨てられて、残飯と泥水をすすりながら生きてた……そこを人売りに攫われて、今の屋敷に買い取られたの」
 その台詞を聞いて、ヴァネッサの疑問は更に深まった。そんな生活を体験していながら、どうしてまた貧乏な生活に戻ろうとするの? と。常にギリギリの生活をしてきた彼女には、リネットの思考は全く理解できなかった。だが、リネットはアッサリと、表情を変えずに語った。ただ一言、『性に合わないから』と。
「で、どうするの? 乗る? 乗らない?」
「……リネット……本当に後悔しないと約束できますか? 決して楽な生活ではありませんよ?」
「決まりね。たった今から私がヴァネッサで、貴女がリネット。入れ替わり成立よ」
 ヴァネッサの一言が決定打となり、二人の入れ替わりは成立した。しかし、嬉々として身に付けていた高級な衣服を脱ぎ捨て、自分に手渡してくるリネットの姿を見ても、未だにヴァネッサの疑問は晴れない。本当にいいのか? と……
「ふぅん、本当にソックリなのね……胸の大きさもほぼ同じだわ」
「……あまりジロジロ見ないでください、恥ずかしいですから……」
 二人は衣装を下着まですっかり脱いで、鏡を見ているかのような互いの姿に改めて驚いていた。そして、ヴァネッサは汚れた身体をしっかりと拭いて綺麗になり、髪も丁寧に梳いて、リネットの髪飾りを付けて身嗜みを整えた。対するリネットは、靴墨の染み込んだボロ布を顔に当てて汚れを付け、煤けた衣装を身に纏い、完全に入れ替わっていた……飽くまで外見のみの話だが。
 あまりの速さでトントンと話が進んだため、未だに『信じられない』といった顔でオロオロしているヴァネッサとは対照的に、リネットの方は自分の理想とする環境を手に入れ、すっかり上機嫌だった。
(貧窮生活から解放される私の方が喜ぶのなら分かるけど、何なのこの人? 変わっているってだけじゃ言葉が足りない……)
 自分の常識……というか、思考の範疇を遥かに越えた行動をアッサリと起こしてのけたリネットを見て、ヴァネッサは懐疑心すら覚え始めていた。が、そんな彼女の視線など何処吹く風とばかりに、目の前の彼女は涼しい顔をしている。
「……ほら、何やってるの? 入れ替わりは済んだんだから、早く出て行きなさいよ。ここはもう、アタシの家なんだから」
「あ、あの……私、どうやって館に入れば……」
「あぁ、街に出れば分かるわよ。今頃、ドジなメイドがアタシ……じゃない、アンタを探しながら涙目になってると思うから」
 そう言い放つと、リネットは意気揚々と部屋を出て、靴磨きの道具を広げた店の前に腰を下ろした。つい先刻までここの主であったヴァネッサの存在を、根底から否定するかのように。
 そして暫くして、着慣れないドレスに戸惑うヴァネッサが漸く戸口まで出て来た。何しろ、『ドジなメイドが街で待っている』という手掛かりしか貰っていないので、どう動いていいか分からずに困っていたのだ。そこで彼女は、先程のリネットを真似て、靴磨きの台に足を乗せ、コソッと質問していた。
「……私を探しているメイドって、どんな人なんです?」
「声がやたら大きくて、その割にオロオロしてばかりの……見ていてイライラする女よ。背格好や年頃はアタシ達と同じぐらい。銀髪で碧眼。紺のスカートに白いエプロンのメイド服を着ているわ……名前はエイミ。さ、もう充分でしょう? 商売の邪魔よ」
 それだけを言い放つと、リネットは本気でヴァネッサを邪魔者扱いし始めた。本来ならばここでヴァネッサは怒るべきであったが、その代わりに貧困生活から脱出できるのだ……という『代価』を思い浮かべ、一言だけ注意を添えた。
「夕方になったら、ホテルのカウンターに行って一日分の部屋代、20ペニーを払ってくださいね」
「ハイハイ……分かったから早くどきなさいよ、邪魔だっていうのが分からないの?」
 リネットはジロリとヴァネッサを一瞥すると、まるで野良猫を追い払うかのように彼女を追い立てた。それを見たヴァネッサは、もうこの人は、何を言っても聞きはしないな……と、諦めたように振り返り、街へと姿を消した。

********

 リネットと入れ替わって街に放り出されたヴァネッサは、まず始めに『ドジなメイド』……エイミを探さなければならなかった。外見的な特徴は聞いたが、耳から入れた情報と、実際に見て知った情報とでは天と地ほどの差がある。つまり、今の彼女は何も分からないのと同じレベルであった。
 途方に暮れたヴァネッサは、もうウジウジと後悔しても始まらない! と開き直り、大声を張り上げてエイミの名を呼び上げ、街中を捜し歩いた。
「エイミ! 何処に行ったの、エイミー!」
 そうして数十分も歩き回っただろうか、徐々に声も枯れ始めて、大声を出すのが辛くなってきた頃。背後から、リネットの名を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。最初、ヴァネッサはそれが自分に向けられている声だと気付かず、夢中でエイミの名を呼び続けていた。
「リネット……リネット!! もう、何処へ行ってたんですか……探しましたよ!!」
「えっ?」
 いきなり背後から肩を叩かれ、ヴァネッサは驚いていた。その時点で漸く、今の自分は『ヴァネッサ』ではなく『リネット』なのだという事を思い出した。
「あ、その……ごめんなさいね、エイミ。心配を掛けたようね」
「……え!?」
 エイミは思わず、耳を疑った。然もありなん、あのリネットがメイドである自分に対し、頭を下げているのだ。彼女の記憶にあるリネットであれば、そこは『アンタが勝手に見失ったんでしょう、アタシの所為じゃないわ』と、冷たく突っぱねるところである。が、目の前にいるリネットは、何と『ごめんなさい』と謝って来たのだ。しかも、彼女も自分を探していたと見えて、声も枯れ、その額には汗すら滲んでいた。普段の彼女を知っている者としては、考えられない事であった。
「リネット……? 一体、何があったんですか……?」
「な、何のこと? 私はいつも通りよ?」
(……『私』!?)
 明らかに、先程までの彼女とは違う……しかし、何処からどう見ても、目の前の彼女はリネットそのもの。見紛う筈が無い……と、エイミはすっかり様子の変わった彼女を見詰めながら考え込んでしまっていた。
「……どうしたの?」
「い、いえ……」
 それはこっちの台詞ですよ……と言わんばかりに、エイミは目線を逸らすように俯き加減になって表情を隠した。そんな彼女を見たヴァネッサは『しまった、リネットさんのリアクションはこうじゃないんだ!』と気付いて、慌てて口を噤んだ。だが、エイミは既に疑いの目で自分を見始めている。ここで全てを明かすか、白を切り通すか……数秒間考えた挙句、彼女が選んだのは後者だった。
「……寒くなって来たわ、帰るわよ」
「あ、は、はい!」
 しかし、ヴァネッサは前者を選ぶべきだったのだ。彼女がそれに気付くのは、館に帰りついた直後の事であった。

********

(……困った……誰が誰なんだか、全く分からない……)
 そう。入れ替わりでやって来たヴァネッサにとって、館のメンバーは全て初対面。顔も名前も全く分からず、声を掛けようにも掛ける事が出来ないのだ。
 リネットが積極的に他者と接するようなキャラでなかった事が幸いして、向こうから声を掛けられる事は殆ど無かったので、二人の入れ替わりに気付く者は居なかった。が、逆に彼女としても、普段のリネットの姿を知らない。だから、動きようがないのだ。どういう態度を取ればいいのか、そもそも、目の前に居る人は一体なんと言う名前なのか……全てが手探り状態であり、その境遇はヴァネッサに極度の緊張を強いる事となった。 
「よぉリネット、今日はいやに落ち着きがないな。拾ったものを食べて、腹でも壊したのか?」
 そんな状況を打破する切掛けを作ったのは、意外な人物であった。セリアが嫌味を言うために、近寄ってきたのである。が、いきなり話し掛けられたヴァネッサは、つい素の状態で応対してしまった。
「そ、そんな事ないです……」
「……へ!?」
 予想外のリアクションに、セリアは思わず間抜けな声を上げてしまった。いや、彼女でなくとも、今の反応を見れば驚いただろう。そして刹那、『しまった!』というような表情になり、ヴァネッサは慌てて口を噤んだ。
「……頭でも打ったのか?」
「何でもないです……放っておいて!」
 そう言い残すと、ヴァネッサはそそくさと立ち去り、自室に篭ってしまった。相手が誰だか分からないのに、『アナタは誰?』と訊けない辛さに耐えかねたのである。
 そして、ぶっきら棒な態度は相変わらずだが、色々と普段のリネットとは違いすぎる……何かおかしい……そう思ったセリアは、キャンディスを通じてエイミを呼び付け、リネットの変化について問い質した。
「やはり、気付きましたか……」
「気付くも何もねぇよ、あいつが『です』なんて言う訳ないだろ。他の奴は気付いてないのか?」
「友達少ないですからね、リネット。恐らく、誰にも気に掛けられる事は無いでしょう。だから、気付いているのは今のところ、この3人だけのようですよ」
 セリアの質問に応えるように、キャンディスが淡々と語った。とにかく、様子がおかしいと言うレベルの話ではない。パッと見た印象だけで判断しても、全くの別人にしか見えないのだから。
「……どうする?」
「そうですね……やはり、本人に問い質すのが一番早いのでは?」
「いや、訊いたところで素直に答えるとは思えない……ここは、彼女の出番でしょう」
 そうか! と、ポンと手を叩くセリアとエイミ。彼女なら、口を開かせなくても全てを悟る事が出来る……と。

********

 一方、ヴァネッサと入れ替わったリネットも、常連客や家主夫婦の名前が分からず、少々の戸惑いを見せていた。
「やぁヴァネッサ、今日も寒いねぇ」
 目の前の踏み台に靴を乗せ、気さくに話し掛けて来る男性。どうやら常連客のようだ。
「そうですね……」
 短く答えると、リネットはスッと目線を客の足元に落とし、黙々と靴を磨き始めた。彼女も『少女館』以前の貧困生活の間に、様々な仕事を手伝いながら生きてきた経験があるので、靴磨き程度であれば手ほどき無しでもこなす事が出来るのである。が、職人の仕事というものには、各々に癖のようなものがある。その常連客は、いつもとは違う手順で靴を磨く彼女に違和感を覚え、思わず問い質していた。
「今日は、いつもと磨き方が違うね?」
「えっ……そ、そうですか?」
 客としては何気なしに投げ掛けた問いであったが、神経質なリネットにとって、その一言はこの上なく苛立ちを覚える一言であった。
(煩いな、靴が綺麗になれば手順なんかどうだって良いでしょうに……)
「どうしちゃったんだい? さっきから黙ったままだけど……」
「……どうもしませんよ、私にだって色々あるんです……はい、終わり!」
 客の方には目線を向けず、俯いたままで掌を差し出し、黙って代金を要求する。リネットの接客態度は、ヴァネッサのそれとは天と地ほどの開きがあり、客を唖然とさせた。
「やれやれ、今日はご機嫌斜めのようだね」
 そう言うと客は、それ以上は語らずに代金を差し出された掌に乗せて、そそくさと立ち去ってしまった。
(ふん……ベテランだって試行錯誤するものなのよ。少々手順が変わったからって煩く言うような客、こっちからお断りだわ!)
 まことに身勝手な言い分で今の接客態度を正当化したリネットは、不機嫌そうに通行人の行き交う様を眺めながら、次の客が来るのを待った。運良く、その後は通りすがりの一見客ばかりが続き、夕方まで無事に過ごす事が出来た。
 店仕舞いし、道具類を片付けて一息つくと、リネットはヴァネッサが最後に言っていた事を思い出した。
(そうそう、部屋代を払わなきゃいけないんだった……確か20ペニーだったかな……)
 簡素なベッドから身を起こすと、彼女は先程の商売で得た売り上げの袋を持って、ホテル入口のカウンターまで下りていった。そこには優しそうな顔立ちをした中年の女性が立っていた。その女性が、恐らくは家主婦人であろう。だが、リネットは先程、常連客を相手に失敗した事を思い出していた。
(……あのオバサン、何て名前なのよ……しまったな、もっと情報交換してからあの子を追い出すんだった……)
 ヴァネッサが少女館で戸惑っているのと同様に、リネットも情報不足に悩んでいた。相手の名前が分からなければ、こちらから声を掛ける事は難しい。増して、相手は他人ではなく、知り合いという立場なのだ。それなのに、名前を呼ばないというのはあまりに不自然すぎる。さて、どうしたものか……と立ち尽くしていると、カウンターの奥から、その女性を呼ぶ声があった。
「おーい、アメリア! 胡椒の買い置きを何処に置いたか知らないか?」
「倉庫の入り口に置きっ放しにしてあったでしょう、後で片付けるからって自分で言ったのを忘れたの?」
「あ、そうだったかな……ゴメンゴメン」
 非常に良いタイミングであった。偶然ではあるが、リネットは家主婦人の名を知る事が出来たのである。だが、冷静になって考えてみれば、そのシーンで無理に名を呼ぶ必要はなく、普通に『今日の分です』と言うだけで済んだのだ。
(……ま、知らないままよりは良いよね。サッサとお金払って、部屋に戻ろう)
 そう考えたリネットがいざ婦人の前に顔を出すと、婦人は気さくにも、先に話し掛けて来た。
「ヴァネッサ、今日はもう上がりなの?」
「え? ええ……何だか疲れちゃって。はい、今日の分」
「あら、具合でも悪いの? 無理をしちゃダメよ、身体を壊したら大変だからね。夕食は栄養の付くもの、用意しておくよ」
「あ、ありがとう……」
 普段、ヴァネッサがどのように周囲と接しているかが分からないため、リネットはその場を最低限の会話だけに留めて、そそくさと部屋に戻っていった。このときになって初めて、彼女は立場を入れ替える事の難しさを意識したのだった。

********

「……ごめんなさい、つい出来心で……」
 翌日、プレッシャーに耐えかねたか。ヴァネッサは部屋の掃除をする為に訪室したエイミに頭を下げ、自分が偽者である事を暴露していた。
「あ、あの、謝られても……困りましたね……」
「しかし、世の中には似た奴が3人は居るって聞いた事があるけどな。ここまでソックリだと、もう驚くしかねぇよ」
 エイミに続いて、セリアがリアクションしていた。しかし、この事が周囲に……なかんずく、メイヤーに知られたら、まずい。彼女たちは、額を寄せ合いながら良い案は無いかと話し合った。
「白を切り通すしかないよ! だって、リネットに戻る気が無い以上、彼女にリネットを演じてもらうしかないもの」
「そんな! 私は昨日一日だけでかなり心をすり減らしました。だから皆さんに打ち明けたのです」
 セリアの提案は、ヴァネッサの嘆願によって却下された。こうなると、何とかして街に潜むリネットを説得するしか手は無い。
「ヴァネッサって言ったな? 良く聞けよ……協力はしてやる。だが、アンタも出来るだけリネットに近い人格を演じて周りの奴を誤魔化すんだ、いいな!?」
 真剣そのもののセリアの台詞は乱暴であったが、的を射てはいた。ヴァネッサはそれに従う事にして、普段のリネットがどのような態度であったかをセリアたち3人からレクチャーされた。それを全て把握した時、彼女は演じきれる自信が無いと、弱音を吐いた程である。
「そんな泣き言は聞きたくない! 第一、アンタがスパッと断ってれば、こうはなってなかったんだからね!」
「そ、その通りです……」
 完全に萎縮して、ヴァネッサは畏まってしまった。だが、そんな事じゃダメ! と、早速エイミからダメ出しをされた。
「リネットなら、『煩いわね! 文句なんか聞きたくないわ、あっちに行って!』と突っぱねるところです」
「……かなり強硬な性格なんですね、彼女」
 冷や汗を流しながら、ヴァネッサはリネットになりきる為のレクチャーを受け続けた。と、そこに……
「……あ、忘れてた」
 ドアをノックする音が聞こえた。ヴァネッサの事情を訊くために呼び出した、彼女――そう、ラティーシャである。
『何の御用でしょうか?』
「あー、えぇと。困ったな、もう済んじゃったんだよな」
「ですねぇ。まさか、あちらから打ち明けてくるとは思わなかったので」
 セリアとエイミが困惑した顔を並べ、その向こうにオドオドした感じのリネットがいる……ラティーシャにはそう見えていた。が、彼女はまだ事情を全く知らないので、単に『リネットが何か失敗したのかな?』と考えたようだ。
『どうしたのですか? リネット。あなたが失敗するなんて、珍しいですね』
「……! 何、これ!? 頭の中に、直接声が……?」
『え? 何を言って……リネットじゃない? 貴女は……ヴァネッサさん?』
「ど、どうして!? 私、何も言っていないのに!?」
 その様を見て、セリアとエイミは『あー……』と苦笑いを浮かべた。然もありなん、ラティーシャの『言葉』を何も知らずに受け取ったら、誰もがみな驚くであろう。
「その子はラティーシャ、アタシたちの友達だよ」
「彼女は、心で直接お話が出来るんですよ」
 紹介と説明を同時に受け、ヴァネッサは更に混乱した。が、質問は許されなかった。セリアが『そういうもんだと思え』と、言い切ってしまったからである。因みに、ラティーシャは相手の『心を』読める訳ではなく、所持している物などから情報を得ているのだが。概ね、結果は同じになるのである。
『セリア、お話を聞いても構わないかしら?』
「ん? あぁ、そうだな。そのために呼んだんだし」
 自分の能力を伏せたまま、相手の言葉を読んでしまうのは無作法だと考え、ラティーシャはヴァネッサから手を放していた。ここで漸く、この館で唯一、メイヤーに対して有効な発言権を持つ人物との対話が為されることとなり、セリアたちもやれやれと一息ついた。
『改めまして、私はラティーシャ。お屋敷の実質的なリーダーである男性、メイヤーの助手です』
「あ……ヴァネッサ・ガーランドです。一昨日、街でリネットと知り合って……御覧の通りの姿なので、入れ替わってくれと頼まれて、ここに来ました」
 と、簡単に自己紹介を済ませた後、セリアとエイミからも事情を聞いたラティーシャは、オロオロするばかりのヴァネッサを見て、暫く考え込んでいた。が、単にそれを知らせるだけなら、わざわざ個室に呼び出されたりはしないだろうと察しを付けた。そして今、最も冷静な判断が出来るのは彼女であろうと判断し、セリアに質問した。
『メイヤー、ですね?』
「そうなんだ。このままの状況をアタシらが認めても、あいつはそうはいかないだろうからな」
『そうですね。これは本来、あってはならない事ですから』
 困惑した表情を浮かべながら、ラティーシャは返答した。そう、ここに集った少女たちは全て、メイヤーの『試験』をパスしている。つまり逆に言えば、彼の知らない人物は居てはならないのだ。依って、入れ替わりを成立させるためには、ヴァネッサが完璧にリネットという少女の内面までを、そっくりコピーする必要があるという事になる。しかし……
「なぁ、ヴァネッサ。あんた、それでいいのか?」
「そ、それは……良くはないです。私は私、彼女は彼女。全く違う個人なんですから」
「すると、やはり……」
 どうやら、全員が同じことを考えたようだ。彼女たちが取るべき行動は一つ……そう、リネットを呼び戻さなくてはならない、という事である。

********

「……帰って頂戴」
 開口一番。リネットを訪ねて街までやって来たセリアと、随伴するキャンディスを迎えた言葉がそれだった。
「想像通りですね」
「あぁ、見事にな。期待を全く裏切らねぇ、清々しいほどのリアクションだぜ」
 どうやら、一筋縄ではいかない事は既に分かっていたようで。訪ねて行った二人は、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。因みに、靴磨きの客を装っての訪問なので、周囲への目配りにさえ気を付けていれば盗聴される心配はない。ただ、肌を突き刺すような冷たい風の中で、キッチリとコートまで着込んだセリアたちと、粗末な衣服でカタカタ震えながら応対しているリネットとの間に、明らかな『壁』は存在していたようだが。
「寒そうだな、ん?」
「放っておいて。こういう事も全て含めて、アタシはこの暮らしを望んだの。今更戻れと言われたって、それは無理な相談よ」
 これまた、お約束な展開であった。が、受ける側であるセリアとキャンディスにも、それは充分に分かっている事だった。
「リネット、貴女はそれで良いのかも知れませんが……それはごく個人的な満足に過ぎないんですよ」
「そうだぜ。お前はお前、あの子はあの子。それぞれに都合もあれば、歩んでいく人生そのものも違うんだ。外身だけ入れ替えて、ハイおしまい……なんて訳にはいかねぇんだよ」
 その『当たり前』の説教を聞いてなお、リネットは強硬な態度を崩そうとしない。曰く、『こんなに広い世の中で、たった二人の人間が入れ替わったところで、どれほどの影響がある』という持論があるようだ。
「……さ、いつまでもアンタの靴を磨いてる訳にもいかないのよ。ほら、早くどいて。そして、二度と来ないで頂戴」
 やれやれと言った感じで、セリアたちはその言葉を受け止めた。が、これもまた想定の範囲内であったためか、軽く受け流すことが出来たようであるが。ともあれ、一回や二回で攻略できるほど、簡単ではないという事を再確認して、その場は引き揚げる事になったようだ。
「邪魔したな。さ、行くぞキャンディス」
「では、ごきげんよう……ヴァネッサさん」
 ふん、と鼻を鳴らしながら、リネットは立ち去っていく二人の姿を目で追っていた。冗談じゃない、せっかくあの館から抜け出せたのだぞ……と。彼女――リネットにしてみれば、少女館での生活はそれほどに退屈なものだったのだ。と、そこへ……
「あ、ヴァネッサちゃん」
「……? 何ですか、アメリアおばさん」
 宿主の夫人が、ヴァネッサ宛に届けられた手紙を持って、カウンターから出てきた。
「手紙が届いてるよ。クラリスって……友達?」
「有難う、あとで読むわ」
 勿論、リネットにはその差出人が誰なのかは分からない。が、この手紙をこのまま破り捨ててしまうのも拙い、というモラルは流石にあったのか。彼女はその手紙を持って、セリアたちの後を追った。
「ちょっと……これ、あの子のらしいわ。アタシが読んでも仕方のないものだし、届けてあげて」
「……こういうやり取りが、頻繁にあるとしたら……リネット、そのたびに報せてくれるのですか?」
「知らないよ。今回は偶然、アンタらが近くに居たからね」
 そう言って、リネットはまたホテル前まで戻っていった。本当に、少女館へ戻るつもりは微塵も無いようである。
「ったく、あれだから友達出来ねぇんだよな」
「あら、貴女がそれを言います?」
「アタシは……ああまでドライには成れねぇよ」
 そうですね……と、笑みを湛えながら、キャンディスは封書の差出人を確認した。クラリス・ベーカーという名の女性らしい。
「ヴァネッサさんの、お友達も……彼女は無視してしまうつもりなのかしら」
「だとしたら、悲しすぎるよな。何とかしなきゃいけねぇのは、分かってるんだが……くそっ、歯がゆいぜ!」
「メイヤーに見つかる云々、以前の問題ですからね。そんな簡単に、自分の人生を他者のものと……あってはならない事です」
 そう。その思い付きによって、変わるのが自分自身だけならば、誰も文句など言いはしないだろう。しかし、それによって歪められてしまう人生が出来てしまう事を、彼女はどう考えているのか……そんな思いを胸に抱きながら、セリアたちは風の舞う街の中を歩いていた。

********

 その頃。極力他の娘たちとの接触を避けるため、部屋に籠らざるを得なくなっていたヴァネッサの傍を、エイミがウロウロとするという、不毛な図が屋敷の中で展開されていた。
「……落ち着かないものですね」
「それは、その……仕方ないんですけどね。メイヤーに知られては拙いから、こうしてジッとしているしか無くて」
「私が上手く、演技できるように……それは違うんですよね。そんなの、皆さんなら直ぐに見破るでしょうから」
「いや、それは無いと断言できますけどね。リネットが自分から進んで、他者とのコミュニケーションを取ろうとしたことは、今まで無かったと聞いてますし。逆に、他の……言ってて悲しくなってきますね」
 はぁ……と、再び静寂が彼女たちにプレッシャーを与えた。セリアたちがリネットを訪ねて外出している間、ずっとこれの繰り返しなのだ。何度ため息を洩らしたか、知れたものではない。
「……ヴァネッサ、付いてきて。ずっと部屋の中に居たら、滅入っちゃいます」
「え? でも、拙いのでは?」
「大丈夫、とっておきの場所があるんです」
「……?」
 エイミは、キョロキョロと周囲を見回した後、ついて来いというサインを出してヴァネッサを誘導した。成る程、口さえ開かなければ、周囲には彼女がリネットではない事は分からない。あとは、話し掛けられた時のリアクションが懸念されるところだが……それはまず心配ないだろう。
「ダニーさん、いますかぁ?」
「ん? おお、エイミか。どうした、今日も……リネット?」
「あ、こ、こんにちは……」
「こんに……おいおい、雨に降られちゃ困るんだがなぁ」
 ああ、想像通りのリアクションだなぁ……と、エイミは笑った。そして彼女は、この一両日の出来事を知る者は本当に限られているのだな……と改めて確認し、胸を撫で下ろしていた。
「ダニーさん、口は固いですよね?」
「お? おぉ。自慢じゃねぇが、このダニエル。人様の秘密をバラした事は一度だってねぇぜ」
「……と、云う訳なの。安心して大丈夫ですよ、ヴァネッサ」
「え? ヴァネッサ、って……まさか!?」
「はい。初めまして……ヴァネッサ・ガーランドです。色々あって、このお屋敷にお邪魔しています」
 それを知らされたダニエルは暫し絶句していたが、エイミからの説明を聞いて『それはそれは』と頷いた。そして、事情が分かれば難しい話ではない。彼はニッコリと笑い、黙って茶の支度を始めた。
「誰も、来ないのですか?」
「あぁ、此処は俺の独壇場だ。メシ前の忙しい時間帯だと、こういう訳にはいかねぇんだが。あとのコックは皆、めいめいに休んでる」
「だから時々、おやつを貰いに来るんです」
「時々? 嘘はいけないよ、エイミ」
 ケラケラと笑うダニエルに、頬を膨らませたエイミが食って掛かる。そんな彼らを見て、ああ、これが彼女たちのコミュニケーションなんだなぁ……と、ヴァネッサも釣られて笑みを零した。それは屈託のない、極上の笑顔だった。
「リネットが笑ったトコなんて、見た事ないからなぁ……ふぅん、勿体ねぇなぁ」
「でしょ!? ……まぁ、でも。あれがあの人の心根なら……仕方ない事なのかも知れないですけどね」
「…………」
 それを聞いたヴァネッサは『ああ、リネットという人は、なんと可哀想な人なの』と、思わず目を伏せてしまった。が、その仕草もまた、それを見ていたダニエルたちには、滅多に見られないレアシーンとして映り、それが益々リネットという人物像の残念さを誇張していった。
「はい、お待ちどう。即興で済まねぇが、こんなもんで良いかい?」
「キャーっ! これこれ! こうして、溶かしバターを掛けて食べるんです!」
「……! お、美味しい……今までのお食事は殆ど味も分からないまま食べていましたが、なんて勿体ない事を!」
「はっはっは。お褒めに預かり光栄の至り、ってトコかな。ま、ゆっくり食べてって」
 照れ笑いを浮かべながら、ダニエルは自分のティーカップに口を付けた。そうして一時間も過ごしたであろうか、夕食の支度に掛からねばならないタイミングになるまで、ヴァネッサはエイミと一緒に、暫しの寛ぎを楽しんだ。

********

 夕方になって、漸くセリアとキャンディスが帰ってきた。途中で買い物をしてきたのか、出発の際には無かった紙袋が幾つかその手に提げられていた。
「どうでした?」
「どうもこうも、なぁ。取り付く島もねぇよ、ありゃあテコでも動きそうにないぜ」
「そう、ですか……」
 セリアからの報告を受けて、エイミとヴァネッサはガクッと肩を落とした。しかし、彼女たちにとっても、これはまだ想定の範囲内。予想できていた事である。
「そういやキャンディス、手紙を預かってたよな?」
「あ、そうでした……はい、これ。お友達からでしょうか」
「私に? 有難うございます、キャンディスさん」
 受け取った手紙に目を落とすと、ヴァネッサは顔を綻ばせた。どうやら、仲の良い友人からの便りであるらしい。このようなタイミングであっても……いや、だからこそ。やはり友達とのやり取りはホッとするのだろう、視線を泳がせながらソワソワとしている。
「クスッ。では、お食事の支度が整いましたら呼びに来ますね」
「そういう訳ですから……セリア、行きますよ」
「あ、あぁ……邪魔したな、ゆっくり読んでくれ」
 セリアは、スラム出身という出自からか、幼馴染や郷里の友達というものが存在しない。当然と云うか、こうしたやり取りも体験した事が無いので、羨ましいのだろう。ヴァネッサが大事そうに押し抱いている手紙をジッと見つめ、暫し放心していたようだ。同じ『独り』であっても、この辺がリネットと異なる部分として、人格形成に影響しているようである。
「……見たか? あの嬉しそうな様を」
「私も、友達に手紙書こうかな。暫く会ってないし」
「キャンディスは良いよな、一番話したい奴がすぐ近くに居るから」
「もう、からかわないでください!」
 と、廊下に出た三人は声を潜めて会話をしていた。が、まだドアの前に立ったままだったので、小声であっても室内のヴァネッサに声が届いてしまう。それでは気を遣って退出した意味が無いだろうと、彼女たちが小さく笑いあった、その時。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 突然、部屋の中から悲鳴が聞こえてきた。声の主は勿論、ヴァネッサである。
「どうした、ヴァネッサ!」
 いち早く部屋に飛び込んだセリアが、その名を隠すことも忘れて叫びながら、ヴァネッサに駆け寄った。見れば彼女は、顔面蒼白になってガタガタと震え、手紙も取り落していた。
「……お手紙ですね? 一体、どんな報せだったのですか?」
「け、結核……って、確か……」
「――!! あの、不治の病と言われる……!?」
 そう。ヴァネッサのもとに届いたのは、死期を悟った友達からの最後の便りだったのだ。重大な感染症であるために隔離され、それゆえに直筆という訳にはいかなかったのだろう。差出人は友達――クラリスとなっていたが、母親が代筆したのだという事が、末尾に記されていた。
「もう、長くないって事か……?」
「まだ間に合うかも……行ってあげて!」
 エイミの叫びは、ヴァネッサの胸を打った。が、しかし。いま彼女は、リネット・クリフォードとしてここに居る。外出が長い期間に亘るとなれば、メイヤーおよびメイスの許可が必要になる。そのような手続きを取っている時間は……無いだろう。
「ラティーシャに頼めば、メイヤーは何とかなるだろう。しかし……」
「メイス様は今、お出かけになったまま。いつ戻るかは、聞いていません」
「……本物のリネットを、呼び戻すしか無いでしょう」
 三人の意見は合致した。その様を、ヴァネッサはオロオロとしながら見守っていた。が、しかし。時を移せば、クラリスには二度と会うことが出来なくなってしまう。最早、選択肢は無いに等しかった。
「――私、行きます」
 既に夕刻を過ぎ、空には星が瞬く時間となっていた。当然、表門は閉ざされていて、外出する事はできない――のだが。彼女たちには、強力な助っ人と、裏技が存在した。そう、ダニエルとバーナードである。
 厨房を抜け、倉庫に出れば、そこには納入業者の通用口がある。そこならば、ダニエルの裁量ひとつで通行はどうにでもなる。夜道の護衛には、バーナードが適任であろう。
「大勢で抜けると目立つから、見送りは……元気でな、ヴァネッサ」
「有難う、セリア。また逢えたら、いっぱいお話ししましょうね」
「急いだ方がいい、あの旦那に知れると厄介だ」
「そうですね。じゃあお願いね、バーニィ」
 任せろ! と胸を叩くと、バーナードはヴァネッサとエイミを護衛しながら、街明かりの方へと消えた。その姿を、ダニエルたちが見守っていた……が。
「……戻ってくると思うか?」
「正直、ムリだと思うよ。ケツ引っ叩いたって、イエスとは言わないだろうね。アイツは」
「でも、ヴァネッサさんには時間が残されてないんです。友達の最後を看取れなかったら……生涯、後悔すると思います」
 そうなんだけどねぇ……と、ダニエルは溜息を吐いた。セリアも、天を仰ぎながら何か呟いていた。全ては、リネットを説得出来るかどうかに懸かっている。が、それが何よりも難しい事なのだと、三人ともが理解していた。
 
********

 その頃、メイヤーの執務室では――
「そういう事だったのか。おかしいと思ったよ、エイミ君の悲鳴が聞こえなくなっていたからね」
『ごめんなさい、メイヤー。こんな騒ぎになるとは、思わなかったから……』
「いや、いいんだよラティーシャ。僕にとっては、リネットが本物かどうかなど、大した問題ではないんだ」
 ブラインドを指で押し上げ、窓の外に目を向けながら、メイヤーは優しく語った。
「……ヴァネッサ、と言ったか。彼女、悔いを残さねばいいが」
 彼には、ヴァネッサとリネットを咎めるつもりなど、微塵もない。しかし、皆がそれを許すかどうかは、また問題が違うのだ。
『分かってくれると、良いのですが……』
「二人のリネット、か。彼女たちを思い出すね」
 メイヤーは、遂に自らが御しきれなかった双子の事を思い浮かべ、目を細めた。

********

「……帰って」
 またしても、バッサリ斬って捨てられた。事情を説明し、頭を下げて頼んでも、リネットはヴァネッサから取り上げた名前を、一時たりとも返そうとはしなかった。
「リネット! お願いです。少しの間、代わってくれるだけでも良いんです!」
「嫌だ、って言ってるでしょ? 大体ねぇ、勘違いしてもらっちゃ困るわ。あの日の約束で、アタシとアンタはすっかり入れ替わった。アタシがヴァネッサなのよ。そのアタシが、クラリスなんて知らないって言ってるの。お分かり?」
「クッ……!」
 冷ややかに突き付けられた一言を聞いて、ヴァネッサは涙を湛えながら唇を噛んだ。確かに、あの時は勢いに呑まれる形で、リネットからの要求を受け容れ、入れ替わりを成立させた。しかし、今は状況がまるで違う。親友と、最後の一言を交わせるかどうかが掛かっているのだ。にも拘らず、リネットは己の自由を主張し、譲ろうとしない。
「私からもお願いします、リネット。結核って、絶対に助からない病気なんです……死んじゃうんです!」
「だから、嫌だって言ってるじゃない。結核? 死んじゃう? そんなの、そっちの都合でしょ? アタシには全然、関係ないじゃ……」
 リネットは、エイミの嘆願を外連味タップリに斬り捨て、一笑に付した。そこに他者を思いやる感情などは一切含まれておらず、物乞いを追い払うかのような雰囲気ですらあった……が、彼女がその台詞を最後まで言い切る事は無かった。乾いた打撃音が周囲に木霊し、一瞬の沈黙がその場を支配した。
「……な、何すんのよ!」
「冗談じゃない! 人の不幸を、何だと思ってるんですか!!」
 エイミは大粒の涙を零しながら、リネットに向かって怒鳴り声を上げていた。誰よりも我慢強く、そして明るい彼女は、怒りの感情も遠慮なくぶちまけるタイプのようだ。
「何って、他人事じゃない! どうしてアタシが、その女の友達とやらの為に泣いてやらなきゃいけないの!?」
「そんな考えだから、友達できないんですよっ! 誰だって、出会った時はみんな他人同士じゃないですか!」
「友達なんか、要らないって言ってるじゃない!」
 リネットにはエイミの言い分が、エイミにはリネットの考え方が、互いに理解できないという感じであった。尤も、リネットが他者との繋がりについてドライであるのは、凄惨な過去の体験に所以するのだが……それはヴァネッサの懇願を退ける理由にはならない。自分がそうだから、皆もそうであるべきと言うのでは、あまりにも独善的に過ぎるだろう。
「ハイ、そこまで!」
 と、二人の言い争いが熱を帯びて来るのを静観していたバーナードが、間に割り入って会話をストップさせた。
「色々と言い分はあるんだろうけどね。リネット、君の我儘をこれ以上、許す訳にはいかない」
「どうしてよ! 死にそうなのはその女の友達でしょ? アタシの知った事じゃないわ!」
 バーナードのジャッジが気に入らないのだろう、リネットは更に表情を歪めて、食って掛かってきた。
「そう、その通りだ。けれどリネット、彼女が友達のもとへ行けない理由を作ったのは……誰だったか、思い出してごらん?」
「悪ふざけも度が過ぎる、皆そう思ってますよ。でも、ヴァネッサにも落ち度はあったから、それは言わないでおこうって……けど、そんな場合じゃなくなった。それは説明したでしょう」
 畳みかけるように、バーナードとエイミが言葉を掛けた。だが、それでもなお、リネットは納得していないようだ。
「アタシは、ずっとその『我儘』とやらを押し付けられて……色んなものを失ったわ」
 その呟きを聞いて、彼女には何を言っても無駄だ……と悟ったか。バーナードとエイミはそれ以上、口を開こうとしなかった。唯一、当事者であるヴァネッサだけが『貴女は、悲しい人です』とリネットを評し、その場は終了となった。
 結局、ヴァネッサはそのままリネットとして、少女館で過ごす事となった。その間に、恐らくクラリスは帰らぬ人となったであろうが……それを彼女は見届けることなく、月日を重ねていった。

********

「よいしょ、よいしょ……」
「リネット! だから、そんな重いものは私が持ちますから!」
「いいのよエイミ、少しは動かないと太っちゃうから」
 太る……誰がそんな事を言うものかと、エイミは思った。食欲もなく、顔色も優れない貴女の様は、まさに病人と変わらぬではないか、と。
「おーす。青い顔して、大丈夫か?」
「おはよう、セリア。平気よ、ありがとう」
 ニッコリ微笑んで、気丈に振舞って見せるが。やはり周囲に与える印象は宜しくないようだ。
 彼女――ヴァネッサが少女館に紛れ込んで、二か月余り。もう彼女の名を『ヴァネッサ』と呼び間違える事は無くなったが……リネットが居なくなった事に気付く者もまた、誰一人として無かった。
「やっぱ、気になってるのかな?」
「他に理由なんか……あのお便りから二か月経ちますけど、それから連絡は無いんですから。クラリスさんは、多分……」
 確証はない。しかし、他に考えようもない。そして、その情報の不確定さもまた、不安を煽ることは間違いなかった。いっそ、彼女はもう居ないとハッキリ知らされた方が、どれほど楽になるか……エイミとセリアは、揃って溜息を吐いた。
「あ、リネット。手紙が届いていますよ」
 キャンディスからの呼び声に、ヴァネッサは目線だけをそちらに向け、微笑んで応えた。抱えていた本をエイミに預け、封書を受け取ると、彼女はその厚みに違和感を覚え、首を傾げた。
「差出人は……書いてない。誰かしら、私宛に郵便をくれるなんて」
 エイミとセリア、そしてキャンディスを伴って部屋に戻り、ペーパーナイフで封を開くと、中には数枚の便箋と一緒に、もう一つの封書が入っていた。それを取り出して、ヴァネッサは思わず息を呑んだ。
「クラリスの……お母さんからだ」
「えっ!?」
 その声を聞いたエイミたちも、また……声を失っていた。

********

「まさか、こんな……」
 真新しい墓標には、ヴァネッサの名が刻まれていた。彼女がアパート代わりにしていたホテルの宿主夫婦が葬儀を挙げ、埋葬してくれたとの事だった。
「彼女、クラリスのところに行って……最後まで『頑張れ』って、励まし続けてくれたそうよ。結核だから、傍に行けば自分も危ないのに……あんなに止めたのに、って……」
 クラリスは助からなかった。しかし『こんな病気が何よ!』と叫びながら懸命の看護を続けた『ヴァネッサ』の熱意に応え、一時は医師も驚くほどの回復ぶりを見せたようだ。
「それで、自分が先に逝っちまうとはね。間抜けにも程があるだろ」
 ヴァネッサが受け取ったあの封書には、一度開封された封書と一緒に、宿主が書いた手紙が添えられていた。リネットが息を引き取る直前に、『少女館のリネットに伝えてほしい』と遺言したのだという顛末が、そこに記してあった。
「……何も言わずに、遠くへ行っちゃったんですね」
「もし、私がクラリスのところへ行っていたら、同じ事をしたはずだって……分かっていたのかな」
「そんなにいい奴じゃねぇよ、アイツは。ただ、アタシらに説教されたから、悔しくて……そうに決まってるさ」
 リネットが、本当に意地だけでクラリスの最期を看取ったのか、それとも心を入れ替えたのか……それは、今となっては誰にも分からない。ただ一つ、確かなのは。彼女もやはり、性根からの悪人ではなかったという事であろう。無論、心に受けた傷が原因で、人間不信に陥っていた点は否めない。が、人は一人で生きていく事は出来ないのだと理解してはいた――それを認めたくないがため、敢えて自ら壁を作っていただけなのかも知れない。
「で……これから、どうなさるのですか?」
「んー……」
 ヴァネッサは、キャンディスからの問い掛けを受けて、暫し空を仰ぎながら考え込んでいたが……やがて『うん』と頷くと、墓標の方を向いたまま、ゆっくりと語り始めた。
「彼女は……ヴァネッサとして、最後までクラリスと向き合いながら天国へ行ったわ。だから今、このお墓で眠っているのは……リネットではなくて、ヴァネッサなの」
「いいのか? そんな簡単に納得しちまってさ」
「納得は出来ないよ、かなり理不尽でおかしな話だと思う。けど……」
 ひと呼吸おいて、ヴァネッサはクルリと振り向いて、涙を拭いながらニッコリと笑った。
 木枯らしの吹く街角で、靴磨きの少女が笑顔を見せることは、もう無くなってしまった。が、それを悔んで、あの日を返してくれと望んでも、誰も叶えてはくれない。ならば、今ここにある新たな道を、歩んでいくしかない。

「ヴァネッサ・ガーランドの人生は、あの人が持って行っちゃったけど。リネット・クリフォードの人生は、まだここにある。新しい友達も、いっぱい出来たし……結構、悪くないよ。うん」
 今はそれに頷けなくとも、いつか分かる日が来ると……そう信じて。

<了>




『夢の軌跡』の外伝その5です。
……いや、コレを発表しちゃっていいのかなぁ、とは思ったんですけどね。

ほぼ原典の設定が盛り込まれていない、完全なオリジナルなんですけどね。第3話までに登場したキャラが多数出てくるので、一応は続き物という事で。
因みに、このお話で『夢の軌跡』外伝は完結となります。
第4話の時も振り返ったと思うのですが、既に原典は打ち切られているので、続きを書きたくても書けないんですね。
しかしながら、それ以前に纏めてあったプロットと、書きかけの導入部が残っていたので、第5話までは完成させた訳です。

……という訳で、何とも、場つなぎ的な色合いが強くなった感じですが。既刊のアップデートばっかりでは飽きてしまうので、たまにはいいかなと(苦笑)
(2019年12月21日)


Back