創作同人サークル『Fal-staff』

『ある少女の決心』

「サッカーの試合見物〜!? 明日ぁ!?」

 ある金曜日の放課後、帰り支度を整えていた彼女……小石川佑香は、級友の突然の誘いに対して、いかにも嫌そうな態度で応えていた。

「どうせ暇なんでしょ?  行こうよ、ね!?」
「でもねぇツカサ……アタシ、サッカー興味ないし……」
「そう言わないで、ね! お願い!」

 佑香に話し掛けて来たのは、同級生の紺野宰。彼女は小1の時以来の仲の良い友達であり、今年で付き合いも9年目。そんな彼女が、どうしてもと頼んできているのだ。気は進まないが、断る理由もない。

「はぁ……ま、いいけどね。でも、急にどうしちゃったのよ? いきなりサッカーだなんて」
「え? あ、あはは……それは、その……」

 宰の視線が宙を泳ぐ。普段なら、もっと落ち着いて話す子なのに……どうしたんだろう? と、頭を捻る佑香。ともあれ、彼女らしからぬ態度に疑問を覚えながらも、佑香は土曜日の正午に学校前で宰と落ち合う事になった。
 明けて、土曜日。約束を果たす為に制服に袖を通しながらも、彼女の足取りは重かった。佑香は本当に気乗りしていなかったのだ。しかし、理由も無しにあんなに熱心に誘いは掛けてこないだろう……そう思いながら、とりあえず学校に向かった。

「お待たせー、ツカサ……あれ?」

 正門前に到着した佑香の視線に飛び込んできたのは、サッカー部に所属するクラスメイトと向き合って話をしている、宰の姿だった。見ると、二人とも心なしか紅潮しているようだ。視線を合わせるようで微妙に外したような表情で、照れくさそうに話をしている。こんなシーンに遭遇すれば、流石の佑香でも今日の試合見物に誘われた理由に察しが付くというものだ。

「つ・か・さぁ〜♪」
「ひゃあぁぁ!? あ、あ……佑香……き、来てたんだ」

 宰の顔は真っ赤だった。ただ、それは唐突に現れた佑香のせいではなく、目の前にいるクラスメイト……浜崎が原因である事は明らかだった。
 佑香としては、宰の彼氏自慢につき合わされるのかと思い、先手を打ったつもりだったのだが……何だか様子がおかしい……と、彼女が首をかしげているところに、浜崎が突然申し入れをしてきた。

「……ちょうどいい、小石川に証人になってもらおう」
「へ!?」

 しょ、証人!? 何のこと……!? と、思わず身構える佑香。

「……紺野! 俺が今日の試合でゴール決めたら……俺の彼女になってくれ!!」
「!! ……(コクリ)」
「じゃ、そういう事だ……また後でな!!」

 慌てて走り去る浜崎。その後姿を見ながら、訳の判らない展開に思わずボーゼンとする佑香が、やっとの事で言葉を絞り出す。

「……なに、まだ付き合うとか、それ以前の問題だったのね」
「うん……浜崎君に、今日の試合に是非来てくれ、そこで話したい事がある……って、誘われてたの」
「それが、さっきの告白だったわけね」
「……(コクリ)」

 真っ赤になって頷く宰。彼女としても浜崎の事は気になっていたようだ。彼の申し入れをほぼ即答で受けた辺りに、その片鱗が伺える。しかし、もし自分の期待と違っていたら……そう思うと怖かったのだ。そこで、佑香に付いて来てもらい、失恋時のショックを少しでも和らげよう、と考えたのだった……尤も、浜崎からの先制攻撃により、その「準備」も無駄に終わったようであるが。
 また、佑香としても意外……というか、ショックと肩透かしのコンボ攻撃を受けた、という感じであった。家を出た時に抱いていた疑念が、宰の姿を見た瞬間に晴れ、それを彼氏自慢と勘違いしたら実は告白すらまだの状態だったのだから、無理も無い。挙句、問答無用で告白の証人にされてしまい、もう何が何やらという状態だった。しかし、親友に彼氏が出来るかどうかの大勝負。応援しないわけにはいかなかった。

 と、そんな重い空気に耐えかねたか、現状を打破しようと切り出す宰。

「……ほ、ほら、そろそろ相手のチームが来ちゃうわ。グラウンドに行こうよ!」
「はいはい……で、今日の相手ってどこなのよ?」
「北領中だって」
「ふーん……」

 北領中とは、佑香の通う高谷中の隣の地区にある中学校である。佑香の家から目視できる位置にあり、彼女の足でも徒歩5分程度で着いてしまう距離にあったので、入学当事は随分と悔しい思いをしたようだ。通学区域を分ける川の向こう岸に家があれば、佑香はそちらに通う事になっていたので、当然といえば当然である。

**********

 午後1時、試合開始。地区予選一回戦負けが当たり前の高谷中に対し、北領中は県大会ベスト8常連という実績を持っていたため、ほとんど勝負にはならない。まるで子供と大人の試合である。しかし、宰への告白を賭け、必死の形相で相手に挑む浜崎のファイトは、鬼気迫るものがあった。後半35分、0対8という大差で迎えた終盤。ここで奇跡的に、ゴール前に切り込んだ浜崎にカウンターパスが通った。

「ほら!! チャンスだよ宰!!」
「うん!! 頑張って浜崎君!! ……あ! 危ない!!」

 背後から、明らかに彼の足を狙ったタックルが迫っていた!! 
 ……が、審判のホイッスルは鳴らない。試合は続行していた。結果、浜崎はシュートを放ち、強豪・北領中に一矢報いる事に成功していた。
 その瞬間、浜崎は何があったのか判らなかったのだが……気付けば何やら、相手チームの選手達が揉めていた。彼にタックルしようしていた背番号2を付けた男が、脚に怪我をした背番号7の選手に掴みかかっていたのだ。

「てめぇ守山!! 何しやがる!! みすみす相手にチャンスをくれてやるようなマネしやがって!!」
「あのタックル、どう見ても相手の脚を狙ってただろ。あれじゃ、あの位置からフリーキックだ。そんな事も判らないのか」
「だとしても、少しでも動きのいい選手は、こういう機会に潰しておくもんなんだよ。それが俺達のやり方だ」
「……そうまでして、勝ちが欲しいか!! そんな卑怯な手でしか勝つ自信ねぇなら、サッカーなんかやめちまえ!!」
「な……なにぃ!?」

 会話の内容から何があったのかを理解して、思わず介入する浜崎。しかし、騒ぎの張本人である相手の2番は手を止めない。

「おい、よせよ!!」
「てめぇには関係ねぇ、ひっこんでろ!!」
「なっ……あんたが俺にファウルしそうになったのを、彼が止めてくれたんだろ!? 関係なくなんか……」

 腹に打撃を食らい、片膝をついていた7番の選手が割って入る。

「……いいから、下がってな。これは、俺達の問題だ」
「し、しかし……」

 その頃、フェンスの外には、思いがけない展開に半泣きになる宰の姿があった。

「……ね、ねぇ、浜崎君……助かったのよね?」
「そうみたい……相手の7番が、体当たりであのタックルを止めたんだ」
「あ……相手同士で喧嘩始めちゃったよ!?」




 グラウンド上で始まった乱闘騒ぎを、彼女達は固唾を呑んで見守っていた。すぐに審判役の教師が介入し、二人の間に割って入る。そして間もなく、その二人はグラウンドの外に退場して行った。

「……退場になっちゃったね……」
「うん……」

 とりあえず味方の選手……とりわけ浜崎が無事でホッとした宰だったが、佑香は浮かない顔をしている。敵をかばう形で、わざわざ自分から怪我をした相手選手の事が気になっているのだった。
 なんとも、後味の悪い雰囲気を残しつつ、試合は1対8で終了した。健闘はしたものの、やはり敵わなかった……しかも相手は最終局面で二人が退場となり、人数的に大きなハンデを負っていたにも拘らず……である。

 肩を落とす浜崎に近づき、話しかける宰。

「……負けちゃったね」
「…………」

 浜崎からの返答は無かった。余程悔しかったのだろう。確かに、ゴールは奪えた。でも、あれでいいのか? そう考えると、釈然としない。堂々と胸を張って、俺は約束を果たした! と言い切ることが出来ないのだ。

「あれじゃあ、納得できないよな」
「……ゴールはゴールだよ」

 悔しさで一杯の浜崎と、早く煮えきって欲しい宰の想いが、交錯していた。そんな彼らが、いつの間にか佑香の姿が消えている事に気付かないのも……無理らしからぬ事であった。

**********

 校舎裏の水道で、スパイクで蹴りつけられて傷ついた脚を洗う、北領中の選手が居た。背番号は7。その選手に、佑香は恐る恐る近寄っていった。

「……っつ、ててて……あのヤロ、思いっきり蹴り入れてくれやがって……」
「……あ、あの……」
「ん?」

 彼が振り向く。長身だ。恐らく、180センチ近くあるだろう。整った顔立ち、サラサラの髪……相手の意外な容姿の良さに、一瞬ポーっとしてしまった佑香。

「あ……お礼を言いに来たの。さ、さっきは……私の友達を助けてくれて、ありがとう……」
「あ? あぁ……関係ねぇよ、あんなやり方、気にいらねえからさ」

 言葉遣いは荒かったが、不機嫌そうではない。これが彼のスタイルなのだろう。

「で、でも……」
「……ほら、サッサと行きな。うちの連中に見付かると、色々とまずいだろ?」
「あ……うん……じゃ、怪我、お大事にね!!」
「あぁ、サンキュな」

 選手に促され、その場を立ち去る佑香。だが……

(もっと怖そうな人かと思った……でも、なんか……いや、かなり……かっこいい!!)

 ……彼女の気持ちは意外な方向に動いていた。

**********

 月曜日の放課後。教室には、浜崎にものすごい勢いで質問する佑香の姿があった。

「ねぇ浜崎、土曜日の練習試合のとき……相手のチームの7番だった人の事、知ってる!?」
「え? 7番……? あぁ……守山の事か」
「守山君……っていうのか」
「何、奴が気になるわけ?」

 当然のツッコミに、焦って切り返す佑香。

「あ、いや、まぁ……って言うか、どうして彼の事を知ってるのよ?」
「塾が同じなんだよ。特に仲いいってわけじゃ無いから、直に喋った事は無いんだけどな」
「じゅ、塾!? アンタ、塾なんか通ってたの!?」
「バカ、中3の春だぜ? 何も対策してない方が珍しいだろ」

 まさかここで『塾』という単語が出てくるとは思わなかった……と、一瞬ひるむ佑香。しかし、これしきの事で、気になる彼の情報をフイにする訳にはいかない……と、彼女は更に食い下がる。

「うっ……ま、まぁいいわ。そんで……アンタ、どこの塾に通ってんのよ?」
「へ?  まさか、一緒に来る気?」

意外な態度に出た彼女に、浜崎は思わず素っ頓狂な返事をしてしまう。そんな彼を見て、ぷぅっと頬を膨らませる佑香。そして彼女は、つい今しがた言われたばかりの台詞をそのまま引用して、浜崎に対して虚勢を張る。

「な、何よ、悪い? アタシだって受験生なのよ!?」
「あ、いや……分かったよ。とりあえず見学ってんなら、今日にでも連れてってやるよ」
「OK、何時から?」
「俺は部活終わってから直で行くから……6時ぐらいに校門で待ってれば、一緒に行って……って、おい!」

 浜崎の台詞が終わる前に、佑香は既にカバンを持って教室を後にしていた。これで彼に近づく口実が出来る……口には出さなかったが、顔にはしっかりとそう書いてあったようだ。そこに、出るに出られずにボーっとしていた、宰が近寄ってきた。

「は〜……あのコ、あの試合で、相手のチームの人に惹かれちゃったのね……」
「あ、紺野……やっぱそうかな? いや、そうじゃ無きゃ、相手チームの選手の事なんて訊いて来ないもんなぁ」

 宰の推論は正解であった。佑香の想いはまだ『恋心』に直結してはいなかったが、既にその心は、ほぼ全域を彼に関する興味で覆い尽くされていたのである。

「でも、あの勉強嫌いの佑香が、塾にまで付いていこうとするなんて……余程気になるのね」
「まぁ、紹介するまでなら問題ないだろ。その後どうなるかは……アイツの頑張り次第、かな」
「そうね……で?」
「え?」

 上目遣いになり、悪戯っぽく浜崎の顔を覗き込む宰。

「私の事、まだ『紺野』なの?」
「い!? あ、あはは……な、慣れなくて……そ、そっちこそどうなんだよぉ」
「あ、あははは……ま、ゆっくり慣れましょう」
「そ、そうだね」

 ……そう、あの試合の後……宰は、言い寄ってきた浜崎に逆襲するような形で彼を口説き落とし、見事に彼の恋人の座をゲットしていたのである。

『チームは負けたけど、貴方は決して負けてはいなかった!! 北領中の守りを掻い潜って、ゴール前まで切り込めたのは貴方だけだったじゃない……と、とても素敵だった……カッコよかった!!』

 普段の彼女であれば、絶対に口には出来ない台詞だったであろう。だが彼女は、傷ついた浜崎を慰めるつもりで紡いだ台詞の中に、そのまま彼に対する想いを乗せてしまい……ハッと気付いた時には、彼は目の前で真っ赤になっていたのであった。ここまで来たら、もう後戻りは出来ない……とばかりに彼女は一気に彼に迫り、『約束』に拘ってなかなか首を縦に振らない浜崎を、とうとう陥落させたのである。

「でも……決めの台詞は、俺の方から言いたかったなぁ」
「あら、それを待っていたら、私はお婆ちゃんになっちゃいそうだったじゃない」
「ちぇっ……どうせ俺は、意気地なしだよ」
「そっ、そんな事無いよ! そんなんだったら、わたし貴方を好きになってない!」
「……!!」

 会話に夢中になり、そこが教室の中であり、まだ周りにはクラスメイトが居るのだという事を忘れ、すっかり二人だけの世界を作り上げてしまった二人。
 彼らが我に返ったとき、周囲からはひがみと羨望の視線が……痛いほど突き刺さっていたのだった。

**********

『五条橋進学塾』。これが、これから佑香が通う事になる塾の名であった。
 学校から帰るなり、塾に通いたいから協力してくれと懇願してきた娘に対し、首を横に振る親などそうは居るまい。まして、良くぞヤル気を出してくれた! と、うっすら涙すら浮かべた母親の表情から、普段の佑香が学問に関してどれだけ無頓着であったかが伺えるというものであろう。
 浜崎の案内で塾の講師に面通りした佑香は、とりあえず授業のカリキュラムと入塾手続きの説明を一通り受けたあと、他の生徒に混じって見学という事になった。当然というか……教室の中には、守山恭平の姿もあった。

 授業が終わり、各々に帰り支度を整える生徒達。その中の一人である守山に、早速接近する佑香。

「え、えっと……あの!!」
「え? ……あれ?  あんた確か……」
「あ……覚えててくれたんだ!」

 意外であった。まさか、彼が自分を覚えていてくれているとは、思わなかったのである。当然であろう。何しろ、印象に残るような事は、何一つしていないのだから。

「……ふぅん、3年生だったんだな……」
「あ……」

 そうか、違う学年だという可能性もあったんだ……と、今になって思う佑香。

「……うん、3年だよ。どうして?」
「ん、ちっちゃくて可愛らしいからさ、下級生かと……あ、ワリ、今の失礼だったな。スマン」
「え……!!」

 『可愛い』の部分を聞いて、照れて思わず顔を両手で覆う……が、ちょっと待て? 

「ん……!?」

 ……下級生……!? 

「……あー、ひっどぉい!」
「はは……悪い悪い」

 言葉では怒った風だが、佑香の顔は笑っていた。守山は言葉は乱暴だが毒が無く、飄々としているが軽薄な感じでもなく、ますます好感が持てたからだった。

「はぁ……でもビックリしたわ。見た事ある顔が……と思ったら、貴方だったんですもの。偶然ってあるのね〜」
「……大した記憶力だなぁ、チョロッと話しただけの奴の顔、しっかり覚えてるなんてな」

 無論、偶然でもなければ、顔を覚えているのにも理由がある。しかし、それを悟られる訳には行かないと、必死に平静を装う佑香。

「あは……そ、そうだ、怪我は大丈夫なの?」
「あ? あぁ、あんなもん、怪我のうちに入るかよ。ツバ付けときゃ治っちまうさ」
「凄いのね……で、あの……」

 ここぞとばかりに、会話を繋ごうと試みる佑香。しかし、サラリとかわされてしまう。

「ワリィけど、そろそろ出ねぇ? 早く帰りたいし」
「あ……そうだね」

 そっけない態度……というか、何か急いでいるような感じだった。しかし、声を掛けることだけで精一杯だった佑香に、そんな事を気に掛けている余裕などは無かった。
 ボーっと守山の姿を、見えなくなるまで目で追う佑香。帰り支度を終えてやって来た浜崎の姿など、目に入ってはいなかった。

(はぁ〜……やっぱカッコいいわ、守山君……)
「……おい小石川ぁ、帰るぞ……なにボーっとしてんだ?」
「あ、浜崎……そうよねぇ、アンタにも、宰みたいな可愛い彼女、出来るんだもんねぇ……アタシも頑張らなきゃ」
「ちょ、おい!! いきなりこんなトコで、何言って……!」
「ううん、いいの……アタシ、頑張るから」
「……心ここに在らず、って感じだな……余程奴に惚れ込んだみたいだな……」

 守山の立ち去った方向を目で追いながら、トンチンカンな受け答えをする佑香。目線はうつろ、頬も紅潮していた。動揺している……というより、何かに酔っているような雰囲気である。宰の事を話題に出したのも、浜崎をからかう為ではなく……純粋に、彼を羨ましいと思っていたのだ。

「……はっ!! も、もしかして……守山君、既に彼女が居たり!?  だから急いで……」
「え? 守山に?  いや……とりあえず今、特定の相手は居ないみたいだぜ?」
「そうなの!? 凄いモテそうなのに……もしかして彼、すっごい理想が高いとか?」
「知らねぇよ、奴の好みなんて……」
「……そりゃ、そうだよね……」

 ライバル不在という事実にちょっとホッとしはしたが、想像以上に高い壁を乗り越える必要があることを知って、複雑な心境になる佑香だった。

**********

 時は流れ、初夏。五条橋進学塾でも、生徒達の進学希望調査が行われていた。

(えっと……守山君の進学希望は……武蔵高校!?  やったラッキー! アタシと一緒じゃん!!)

 教員室に希望調査用紙を提出しに行った折、恭平の希望調査用紙を盗み見した佑香は喜んでいた。気になっている相手と、進学希望の学校が同じだったのだ。嬉しくないはずがない。

「よぉ小石川、嬉しそうじゃん? 何かあった?」
「あ、浜崎。へへ、アタシ、守山君と同じ学校、通えるかも〜!」
「へ!? お、オマエ、いつの間にそんなに成績上がったの?」

 浜崎の意外かつ失礼な反応に、ちょっとムッとする佑香。

「何言ってんのよ。彼も、アタシと同じ『武蔵高校』って書いてたわよ? 希望調査」
「はぁ……? そんなバカな、あいつ、そんなレベルじゃ……あ、オマエ多分、派手に勘違いしてるぞ」
「……え? ……ま、まさか……」
「……守山の希望は多分、県立『武蔵高校』じゃなくて、私立『武蔵野高校』の方だ」
「……そ、そんな……」

 ……そういえば、彼とはクラスが違う……その理由が、今になってやっと判った佑香。彼女は、いきなり天国から地獄に転落するような気分に見舞われた……だが無理も無かった。「武蔵高校」は一般的……よりやや低い学力であっても入学できるが、「武蔵野高校」は県下トップクラスの進学校。要求されるレベルに雲泥の差があるのだ。佑香は、乗り越えるべき壁のあまりの高さに、気が遠くなっていくのを感じていた。

「……なぁ、同じ学校じゃなくても……別にいいじゃん? 家は近いんだしさ……」

 この世の終わり……というような顔になっていた佑香に、浜崎が慰めの言葉を掛ける。が、その程度では、今の彼女を絶望のどん底から救い上げる事は無理であった。

(分かってるわよ……でも、出来るだけ彼に近付いて……彼と釣り合う女になりたいのよ、私は!)

 彼女は……顔の作りは平均以上のレベルであったが、背も低く、胸も小さく……オマケに成績は……という感じだったので、今の自分では到底彼とは釣り合わない……そう思い込んでしまっていたのだ。
 無論、彼……恭平がそう言った訳ではない。全ては彼女のマイナス思考が作り上げた思い込みに過ぎなかった。むしろ、恭平はそんな事に拘るような男ではなく、もっと深い内面を重視するタイプだったのだが、今の佑香にそこまでの洞察力など、あろう筈はなかった。

(ダメだこりゃ……コイツ、自分を過小評価しすぎてやがる。このままじゃ意識しすぎて自滅しちまうぞ……)

 俯いたまま顔を上げようともしない佑香を見て、浜崎は困り果ててしまった。クラスメイトとして、何とかしてやりたいが……事は彼女一人を説得して済む話では無い。

(仕方ない……一肌脱いでやるか。コイツがこうなったのは、俺達のせいでもあるからな……)

 奴に会わせさえしなければ、こうなってはいなかった……そう考えた浜崎は、せめて恭平の心中を探ってやろうと、彼のクラスに赴いていた。

「えーと……あ、居た居た……よぉ、守山君」
「ん? あれ、アンタ……高谷中のフォワードの……」
「あ、覚えてた? ……俺、浜崎っていうんだ」

 しめた、切っ掛けは掴めたぞ……と、内心で冷や汗を拭う浜崎。ここで『アンタ誰?』等と言われたら、取りつく島もなく退散するしか無いからである。

「……何か用?」
「あ、うん……今度の夏の大会で、お互いに引退だろ? 練習頑張ってるかなー……とか思って」
「あ? あぁ……それなりにね。けど、偵察ならお断りだぜ?」

 ニヤリと笑みをこぼしながら、浜崎の問い掛けに応える恭平。彼としても、サッカー仲間との会話は嫌では無いようだ。

「ちぇ、やっぱガード固いねぇ……でも、そうじゃなきゃね」
「ハハハ……で? ホントの用は何なんだ?」
「……え!?」

 浜崎の演技を見抜いた恭平が、幾分か目線をきつくして、逆に彼に問い掛ける。

「……流石だね」
「目を見りゃ分かるさ。アンタもサッカーに対してはかなり真剣なようだが、今の台詞を言った時、目線が泳いでたからね……何か、他に聞きたいこと、あるんだろ?」

 やっぱ、コイツは只者じゃないや……と、すっかり降参して両手を挙げる浜崎。そんな彼を見て、恭平は苦笑いを浮かべる。

「……君が今、何に夢中になってるのか……それを聞きに来たんだよ」
「……? そんなこと聞いて、どうするんだい?」
「理由は言えない……って、卑怯だよな。悪い、今のは忘れてくれ」

 その台詞を聞いて、浜崎の台詞に嘘が無い事を瞬時に見抜く恭平。彼としても自分のプライバシーを人に喋るほど甘くは無い。が……

「……志望校への合格と……その先にある将来の夢との両立。それが全てさ……こんなもんで良いかい?」
「!! ……すまない……」
「目を見れば分かるって言ったろ?」
「お手上げだよ」

 そして、互いにニッと笑って……そこで彼らの会話は終わった。軽く手を上げて目線を合わせ、無言で席を立つ浜崎を見て、恭平はふと思い出したように心の中で呟きながら、最近自分に近づいてきている娘……佑香の事を思い浮かべていた。

(そうえいば、アイツ……あの娘と同じ学校なんだよな……)

 そして、自分の教室に戻りながら……浜崎も考え事をしていた。

(奴は、目標に向かって真剣に打ち込んでるんだな……だが、小石川の事も眼中に無さそうだな。こんな事、アイツには伝えられないな……)

 佑香が恭平の『眼中に無い』というのは、ある意味正解であり……ある意味で間違いであった。理由は分からないが、少なくとも彼女は、既に彼の意識の中にしっかりと入り込んでいたのである。

**********

 その日の帰りも、佑香はダメ元で恭平に声を掛けてみた。少しでも印象に残りたい、一回でも多く話をしたい……そんな一心からの行動だった。

「も、守山くん。今日、一緒に帰らない?」
「……アンタも、変わった奴だな。どうして俺なんか誘うんだ?」
「べ、別に……と、友達はいっぱい居た方がうれしいから……」

 ありきたりな告白や、ゴリ押しな迫り方では敬遠される……それは何となく判っていた。しかし、成功の鍵はまだ見えていない。どうすれば、彼を振り向かせる事ができるのか……佑香の気持ちは、その事で満たされていった。

「ふぅん……まぁ、興味持ってくれんのは嬉しいけど、帰り道はご同道できない。悪いな」
「あ……そうなんだ」
「じゃあな、遅くならないうちに帰れよ」
「うん、ばいばい……」

 今日も、相手にされなかった。……予想はしていたが、少なからずショックであった。しかし、こうまで頑なに一人で帰りたがるのには何か理由があるはず。意を決した佑香は、悪い事とは思いつつも、恭平の後を尾けていった。
 塾を出て10分ほど歩いた所にある、静かな場所にある公園に入って行く恭平。そして、簡単にストレッチをした後、スポーツバッグからサッカーボールを取り出し、リフティングを始めた。なんと彼は、塾での勉強でクタクタになりながら、その後で密かにサッカーの練習もしていたのだ。
 壁打ちや筋肉トレーニングを1時間ほど行った後、水筒に口をつけ、休憩に入ったその時……

 パキン!! 

「!!」
「あ……」

 佑香が、足元にあった木の枝を踏んで、音を立ててしまったのだ。

「……なんだ、覗き見とは趣味が悪いな」
「ごっ……ごめんなさい!! ど……どうしても気になったの……」
「ふぅ……やれやれ。しょうがないなぁ……」

 練習を覗かれ、ちょっと呆れた恭平だったが、すぐにいつもの飄々とした態度に戻っていった。

「随分遅くなっちまってるぞ、親が心配しないか?」
「大丈夫だよ……友達の家で勉強見てもらってたとか言えば、何とかなるわ」
「ふぅん……まぁ、今夜は俺が送ってやるから。でも、今回だけでやめとけよ?」

 タオルで汗を拭きながら、軽く佑香の行動を咎める恭平。覗いた相手が自分だったから良かったが、もしタチの悪い連中だったりしたら、タダでは済まないところだぞ……と、彼なりに彼女を心配していたのである。そんな彼の注意を素直に聞き分け、改めて謝りながら……彼女はポロっと本音を口に出してしまっていた。

「ゴメンなさい……でも、理由が分かって良かったわ……」
「理由?」
「あ、いや……なんでもないの、こっちの事」
「……?」

 ぎこちない空気が流れた。しかし、理由もなしに自分の後を尾けるなんて真似は、普通ならばやらないだろう。詮索こそしない恭平ではあったが、気にはなったようだ。

「……でも良かったぁ、デートの現場とか覗いちゃったら、もっとタチが悪いもんね」
「デートぉ? ……そんな事やってる暇あるかよ。っていうか、女なんかに興味ないよ、今は」
「そ、そうなんだ……」

 ああ、彼は今、本当に恋愛なんかに興味は無いんだな……と、改めて思う佑香。彼女は思わず無意識に肩を落とし、非常に残念そうな顔になっていた。そんな彼女を見て、恭平は「何で彼女がガッカリするかな……」と些か疑問に思ったが……それについては追求せず、何故自分が安易に誘いに乗らないか、その理由を説明していた。

「……いつも、悪いとは思うんだけどな。でもな、生半可な気持ちでOKする方が、よっぽど失礼だと思うんでね」
「……うん……自主トレーニングの邪魔されるのは嫌だろうし……こうして練習してるのを、あまり知られたくなかったんだよね?」
「……そういうことだ」

 努力している姿を他者に見られたくないという人は結構居る。彼もそのクチなのだろう……そう納得した彼女は、彼の練習を覗き見た事を心底から申し訳ないと思っていた。そして、彼が他の女子と付き合う可能性が極めて低い事については安心したが、それが自分に対しても同じ気持ちなのかなと思うと、どんどん気分が重くなっていった。聞かなければ良かった……とすら思えてしまうほど。
 佑香は、そんな気持ちを悟られまいとして、慌てて話題を変えようとした。

「あは……でも凄いね、守山君みたいな天才が、更に努力するんだもの……敵わないや」
「!!」

 何気なしに口に出した、佑香の一言に……急に険しい顔つきになる恭平。

「アタシなんか、何の才能もないし、成績だって……」
「……やめろ!! ……俺は……天才なんかじゃ無い。そんな呼び方するなよ……」
「え……!?」

 恭平は、みるみる不機嫌になっていった。そして、彼にしては珍しく……感情を剥き出しにしていたのである。

「……ほれ……帰るぞ」
「え、え……!? ど、どうしたの? 何か気になる事、言ったかしら……!?」
「……いいから、早くしろよ……」
「……!!」

 不機嫌……どころではない。彼の目には明らかな怒りの感情が篭っていた。自分は何か、まずい事を言ったのだろうか……その時の佑香には、全く分からなかった。家まで送ってはくれた恭平だったが、一言も口をきかず、ただ黙って付いて来てくれただけだった。
 家の前まで着くと、彼は「じゃあな……」と一言残して、走って行ってしまった。

「アタシ……彼を怒らせちゃった……?  何がまずかったんだろう……」

 その後姿を、見えなくなるまで見詰め続ける佑香。気が付いた時には、彼女の頬は涙で濡れていた。

**********

 翌週、月曜日。落ち込んで表情を曇らせる佑香に、意外にも恭平の方から声を掛けてきた。バツが悪いのか、彼にしては珍しく、目線を逸らしながら……ではあったが。

「よぉ……こないだは悪かったな、怒ってるか?」
「!! も、守山君……う、ううん! アタシの方こそ、何か、気に障ること言ったみたいで……ごめんね!!」
「あ……いや……ただ、訳も無く不機嫌になったわけじゃ無いんだ、って事を言おうと思ってな」
「……?」

 ワケが分からない……と、頭に疑問符を浮かべながら、恭平の顔を覗き込む佑香。だが次の瞬間、彼は……なんと彼女を、自分のトレーニングに付き合うよう、誘って来たのである。

「……今日の帰り、付き合えや。訳、話すから」
「う……うん!!」

 思い掛けない展開に、佑香の頭の中は半分パニックになっていた。だが、いま自分は確かに彼からの誘いを受けた……それは間違いなかった。その事実を反芻しながら、彼女は授業の終わりを心待ちにしていた。
 そして授業が終わったあと、約束通り恭平は、教室の前で彼女を待っていた。そして揃って例の公園に向かい、いつも通り練習を始め……一通りのメニューをこなすと、タオルで汗を拭きながら、佑香の隣に座った。

 ……暫しの沈黙を破り、静かに語り始める恭平。

「俺な……『天才』っていう表現が、大嫌いなんだ」
「……え?」
「……こんな事、自分から言うようなことじゃ無いんだが……ま、しゃあないか……」
「……??」

 珍しく、トーンを落として喋り始める恭平。あまり良い思い出ではないようだ。

「小学校の頃な……クラスに、アンタの言うような『天才』って感じの奴が居たんだよ。そいつには、何やっても敵わなかった。勉強もトップ、運動神経も抜群で……まさに、天才っていうのはああいうのを言うんだな、っていう感じの奴だった」

 恭平にしては長い台詞であった。しかし、いつものような精彩は感じて取れない。余程、その思い出を嫌悪しているのだろう。

「……で、そいつがある日、平凡な奴がどんだけ頑張ったって、天才には敵わない。努力なんか無駄……そんな事を言ったのさ」
「うわ、やな奴!!」

 彼の思い出話に心底から共鳴して、素直な感想を口にする佑香。そんな彼女を見て、ホッとしたように……穏やかな笑みを浮かべながら、話を続ける恭平。

「はは……まぁ、今思えば大した事じゃあ無かったんだがな。その時の俺は、矢鱈とその言葉にカチンと来てな……頑張って、その努力が形にならない事なんか無い。それを証明する為に、何をやるにも精一杯、がモットーになったのさ」

 淡々と語る恭平の横顔を、佑香はジッと見ていた。彼のこんな表情は初めてだ……そう思いながら。

「まぁ……だから、持って生まれた才能がどうとか、そういう風に言われんのが嫌いってだけでな。決して、アンタの事を怒った訳じゃないんだ。だから……あの時はホントに悪かったと思ってる。済まなかった」
「……良かった、アタシ……嫌われちゃったかと思った……でも、そういう訳なら仕方ないよ」

 喜びに顔を綻ばせる佑香を見て、恭平も安心したような表情になる。どうやら彼も、彼女に嫌われるのは本意では無いようだった。

「とにかくな……努力は決して自分を裏切らない。これだけは覚えといたほうがいいぜ」
「……!!」

 その台詞を聞いて『そうだ、この人は……平凡な素材を一流以上に仕上げる為の手間と労力を惜しまない、筋金入りの努力の人なのだ……あの強い意志と、滲み出る自信は……その努力の成果を信じる心が裏付けていたんだ!』と、改めて認識する佑香。

 ……だったら、彼に近づく為の答えは一つ!! 

「うん……守山君、アタシも今、目標できたよ!!」
「へぇ?」
「今は……へへ、恥ずかしいから言わないけど……目標は、叶える為にあるんだよね。その為の努力だもんね!!」

 目を輝かせ、彼に熱弁をふるう佑香。その顔を見て、いい表情だな……と、思わず一瞬見惚れる恭平。

「ふぅん……? まぁ、前向きに頑張るってのはいい事だ。出来る事なら、応援するぜ」
「ありがと!! ……えへへ、とりあえず……アタシを嫌いにならないで。今はそれだけでいいから」
「え……? あ、あぁ、おやすい御用だが……」
「えへへ……」

 恭平は、彼女の豹変振りに驚いていた。だが、悪い気分ではなかった。ありきたりな告白をされるのはもうウンザリだったが、コイツは何か違う……そう感じていた。

**********

 更に月日は流れ……年が明けて、1月の下旬。駅前のハンバーガーショップに、私立武蔵野高校の合格発表を見て互いに相手を讃える恭平と佑香……そして、祝いに駆けつけた浜崎と宰の姿があった。

「おめでとう佑香!! ホントに武蔵野高に受かっちゃうなんてねー」
「コケの一念岩をも通す、って奴か? まさかオマエに抜かれるとはなぁ……」
「ふっふっふ!! なんとでもお言い!!」

 浜崎と宰のリアクションに、満面の笑みで応える佑香。しかし、嬉しい反面、9年間続いたクラスメイトという関係に終止符を打つ事になってしまった寂しさを隠せない宰。

「でも……とうとう、佑香とは学校別れちゃうんだねー」
「へへ……でも、浜崎とは一緒でしょ? よかったじゃん」

 もうっ、と顔を赤くする宰。その隣で、浜崎も視線を宙に浮かせていた。ここで、クラスメイト同士の会話を邪魔しては……と遠慮して聞き手に回っていた恭平が、佑香の横顔を見ながら会話に混じって来た。

「しかし……お前の言ってた目標って、これだったんだな」
「えへへ……成功の鍵をくれたのは守山君、あなたよ」
「それにしても……眼鏡かけるようになるまで頑張ったんだもんなぁ、頭下がるぜ」

 そう。あまりに真剣に勉強に打ち込むようになった為、佑香の視力は急激に落ちていたのだ。そんな彼女の変化をクラスでずっと見ていた浜崎が、思わず恭平に尋ねた。

「なぁ、守山よぉ、コイツに一体なに吹き込んだんだ? こんなに垢抜けるとは、正直思わなかったよ」
「ん? あぁ……努力は決して自分を裏切らない、って言っただけさ」
「……それって、結構重い言葉だと思うぞ?」
「そっか?」

 素で返す恭平だが、浜崎は改めてレベルの差を見せ付けられたようで複雑な気分だった。努力は自分を裏切らない……言葉で言うのは簡単だが、それを自信を持って口に出すには、相応の資格が要ると分かっていたから。
 そんな二人の姿を見ながら、食べ終わったハンバーガーの包みを丸めつつ、誰にとも無く語る佑香。

「……さて! これで、第一目標はクリアだわ。あと一つ、大きな目標があるの。頑張らなきゃ!」
「何?  まだあんのか!?」

 明るく言い放つ佑香を見て、思わず目を丸くする恭平。
 そんな恭平を見て「コイツ、まだ気付かないのか……」という感じで苦笑いする浜崎。
 更に、そんな二人を見てクスクスと笑う宰。

「へへ……まだナイショ!!」

 三者三様のリアクションに、悪戯っぽい笑みで返す佑香であった。

**********

 また更に月日は流れ……2月14日、バレンタインデー。受験の終わった二人は既に塾を辞めていたが、佑香は、敢えて塾の近くにある、あの公園に恭平を呼び出していた。

「待った?」
「いんや……で、用事って何だ?」
「もー、今日はバレンタインデーだよ。ちょっとは期待してくれたっていいじゃない」
「ふーん……期待していいんだ?」
「う、うん……まぁ……チョコの出来栄えに関しては……ら、来年に期待してほしいトコなんだけど……」
「……失敗したのか」
「……で、でも!!  きょ、今日の目標は……あ、いや……」
「ん?」
「……」

 黙り込んでしまう佑香。彼女にしては珍しいそのリアクションに、軽く戸惑う恭平。暫く肩を並べて歩きながら、時々話題を振ってみるが、どうにも彼女の緊張はほぐれない。その雰囲気に耐えかねた恭平が、佑香に問い質す。

「……なぁ、一体どうしたんだ?  今日のお前、何かおかしいぞ?」
「あ、う……」

 それでもなお、何やらモゴモゴと口篭るだけで、言葉にならない。やれやれ……と肩をすくめる恭平だったが、ふと、先程佑香が言い掛けた台詞を思い出す。

「そういや、何か言い掛けてたよな?  目標がどうとか……」
「!!」

 ビクッとなる佑香。

「……ま、言いたくないなら無理にとは言わんが……」
「そ、その……あのね……」

 顔を紅潮させ、言葉に詰まる佑香だったが……意を決したように、目を閉じて、一気にまくし立てた。

「あ、アタシの一番の目標は……あ、あなたに『佑香』って、名前で呼ばれる事なの!! アタシも、あなたを名前で呼びたい!! ……ううん、呼ぶだけじゃ嫌!! アタシ、あなたの一番になりたい!! あなたが……大好きだから!!」

 流石の恭平も、この台詞には驚いたようだったが……敢えていつもの飄々たる態度で応えた。

「ふぅん……つまり、『プレゼントは、ア・タ・シ!』って奴?」
「え……まぁ、ありていに言えば……でも、そんな下品なんじゃないもん!!」
「……わかってんよ、眼ぇ見りゃ判るさ……」
「……」

 恥ずかしさがピークに来たのか、ついに下を向いて涙ぐむ佑香。一方、ちょっとふざけ過ぎたか……と、反省する恭平。しかし、彼も予想外の彼女の行動に驚いて、躊躇していたのだ。視線を逸らして鼻の頭を掻くという、彼にしては珍しい行動が、その様子を表していた。

 ……が、彼の心も……既に決まっていた。

「ふぅ……いい加減、冷えてきたな。チョコの礼に奢るから、コーヒーでも飲もうぜ」
「……うん……」

 俯いたまま、生気の無い声で返事をする佑香に背を向け、彼はぶっきらぼうに……それでいて確実に聞こえるように口を開いた。

「……ほら……早く来ないと置いてくぞ、佑香」
「!! ……うん!!」




佑香と恭平、15歳の春。
二人のアルバムは、ここから始まったのだった……





はい、「Chronicle」外伝でした。
『遠い記憶』本編では主役二人のサポートに徹し、決して目立つ事のなかったカップルが誕生した瞬間の
エピソードを書いてみたくなり、追加設定を少々含ませながらも本編の邪魔をしないように気を遣い……
それでいて、かなり楽しんで書かせて頂きました。

本編をまだ読んでいない方がご覧になっても大丈夫なように構成したつもりですが、如何でしたでしょうか。
また、本編を既に知っている方には、違った角度からキャラクターを見て頂き、楽しんでもらえれば幸いです。
(2008年10月3日)


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